桜井和寿が沈んだ深海、星野源が閉じこもった小屋。【二人がポップミュージックのど真ん中に戻った理由】

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僕の好きなアーティストで、二人とも同じ様な境遇を辿った人間がいる。

 

桜井 和寿星野 源だ。

 

共に病気という苦難を乗り越え、今も日本を代表するアーティストの一人として活躍している。

 

そんな二人はそれぞれ、闇を抱えていた。

 

深い海の底と、暗い小屋の中で。

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星野 源でミスチル現象を体感する

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ある日の僕。

いつも通り会社に出勤した僕は、フロアから聞こえる同僚の女性社員たちの話を耳にする。


「なんだよ!結局年下かよ!いい歳こいて気持ち悪ぃんだよ!」


一人の女性がそう大声をあげて話している。

どうやら昨夜の週刊誌に載った、星野源と二階堂ふみの熱愛発覚についての様だ。

そこまで憤慨する事なのだろうか?
正直、僕はその会話に違和感と恥ずかしさを感じた。


年下だからなんなのだろう。
誰が誰と交際しようが当人の勝手ではないか。
音楽や俳優を本業としている人でも、色濃い沙汰で他人から評価されるなんて辛い世の中だ。

ここで、僕の頭の中に一つのイメージがよぎった。


『ミスチル現象も、きっとこんな感じだったんだろう』


僕がMr.Childrenを好きになったのは、彼らが活動休止中の事だ。

だから休止前のミスチル現象と呼ばれているあの感じを、メディア媒体でしか知らない。
リアルタイムでの体感が無いのだ。


しかしここで、恐らく同じ様な事の一端が叫ばれている。
有名税とかいう意味もわからない暴論を振りかざし、ゴシップを追うパパラッチ。
本質やアーティストの中身ではなく、現象や虚像を追いかけ期待するファン。

名誉、金、容姿、プライベート、交際関係、有名人としてのパブリックイメージ。

全てが本質を隠し、虚像だけがただ大きくなっていく。そこに本人たちの在るべき姿は無い。


「ああ、これだよな。多分こういう感じだったんだ。」

予想通りその後、星野源はエンターテイメントの台風の目となっていった。


深海期の桜井和寿

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僕はミスチル現象を経験をしていない。
当時の桜井和寿が有名になるにつれ、世間はMr.Childrenという虚像を追っていった。

そこにプライベートという考えは存在せず、どうでも良いことばかりが話題に上がる。
曲をリリースすれば内容はとにかく、ヒットする。黙っていても勝手に売れていく。

桜井和寿は完全に心を乱し、目の輝きは次第に無くなっていった。

『Atomic heart』はプロデューサーである小林武史による、桜井和寿の自我開放が一つの形となった作品だ。
そこには荒削りながらも、前に進む力と純粋さを持ったエネルギーが満ち溢れている。

しかしその後発表された『深海』と『BOLERO』に関しては、とにかく暗さが目立ち救いが無い。

サウンド的にもバックグラウンドにしても、作品を支配している音は暗く、そして重い。

その重さはラウドやハードロックから影響を受けており、何より本人たちの内省的な部分が引き連れてきた音という感覚が強い。

『争い』『愛する人との別れ』『世の中への不安』『もう一人の自分への問いかけ』『生きる事への悩み』『苦しみから生まれる力』『闇から光へ伸ばす手』
そんな混沌としたイメージが、作品の至る所に散りばめられている。


『深海』と『BOLERO』は

アナログとデジタル、深さと広がり、コンセプチュアルとベスト

相反する言葉が表す作品をリリースする事により、聴き手のピークと今のMr.Childrenに決着をつけるという意思の表れ。


彼は、一度全てを終わらせたかった。
自分という存在も、音楽を歌う事も。

 
https://www.housework-kuma.com/mr-children-deepsea-bolero

桜井和寿の深海からの復活は、お世辞にも早いとは言えなかった。

寧ろ活動休止明けの動きは鮮やかでもきらめきを放つ訳でもなく、歌の中でさえ表現者と生活者としてのバランスを取るようなリハビリを兼ねていた。


桜井和寿は自らの復活のきっかけとして、シーンに舞い戻る様な疾走感あふれるポップ『I’LL BE』ではなく、あえて内省的で静かに力強く歩んでいく『終わりなき旅』を世に落とした。

『ミスチル的なモノ』を再び世間に見せる事で、同じ事を繰り返さない為だ。

実際聴き手が彼らの意図を掴むにはやはり時間がかかり、バンド自体もそこから『POP SAURUS』におけるポップ再検証までは悩み続けた。

深海当時は死にたいと嘆き苦しんだ。
しかし今はそんな言葉は絶対に漏らさない。

病気により、死をすぐ側に感じたからだ。

その後の彼らは、自分達のポップミュージックの在り方を求めるポップ再検証を経て『SENSE』に辿り着き、ようやく深海から脱出した。

そんな、深く暗い闇。深海の世界。

www.housework-kuma.com

 

『恋』以降の星野源

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星野源の名前をお茶の間のマス層に一躍広めた曲といえばこの曲。




星野源 – 恋 (Official Video)

『恋』

ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌に起用され、世間に逃げ恥ブームを巻き起こした楽曲。


恋ダンスを真似する子供から大人、はたまた紅白歌合戦を見る年配の方々まで、その名は様々な層に広まった。

それと同時に星野源という人間に注目が一気に集まり始め、彼も最初はそのブームに対し歓迎的で喜んでいたという。

しかし過剰な出待ちや贈り物、パパラッチによる日常生活への支障など、星野源の生活は確実に大きく変わっていった。

過度な期待や注目によりストレスを感じた彼は、次第に人を避ける様になった。
自分の殻に閉じこもり自宅に引きこもりがちになり、精神的に参ってしまっていた。

この時の状況として、彼はこう表現している。

自分の周りは台風なんだけど、一応小屋の中にいるっていうような感じ。で、そこでじっとしているっていう感覚だったんですよね。で、今改めて考えてみると……自分自身が、確かに自分なんだけど、ふと、それが分かれてそれぞれひとり歩きしていく感じっていうか……自分っていうものが分離していくような感覚っていうんですかね

MUSICA(FACT)2018年9月号 星野源インタビューより引用

自分の感覚が届かない所で、噂やイメージだけが拡がっていく。
星野源という一人の人間はもういない。

周りの大人やスタッフ、そして聴き手の皆が作り上げたパブリックイメージの人物である『星野源』だけがそこにいる。

それは自分でどうこうできる物ではなく、勝手に肥大しついてくる。

それは、もう一人の自分を作ること。
いや、分離しなければやっていけないのだ。

もう一人の自分

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人はストレスを感じると、自分を分人化する。

もう一人の自分を作り出し、自分の痛みを託して救われる為だ。


www.housework-kuma.com


Mr.Childrenの『深海』に収録されている『シーラカンス』や『深海』の歌詞で表現される様に、自身を相対化した存在を作り上げる事で痛みから逃れようとする。

連れてってくれないか
連れ戻してくれないか
僕を 僕も


星野源もよくエッセイで、もう一人の自分について触れる時がある。

彼が数年前にリリースした作品『Stranger』
いくつかある言葉の意味としては『見知らぬ』『他人』という意味がある。

この作品の1曲目『化物』
これはかつて共演があった、歌舞伎俳優の中村勘三郎に宛てた曲とされている。

舞台で演じる人間があげる、心の叫びや葛藤。
単なる生活者である自分の声は誰にも届かない。皆が明日も期待しているのは、舞台で歌舞く自分の姿。

孤独な心情と、他者の期待に応えようと藻掻く人間の姿が表現されています。

誰かこの声を聞いてよ
今も高鳴る体中で響く

誰かの虚像として生きる事は、本当の自分を殺すこと。そして本当の自分の声は誰にも聴こえない。
皆が求めているのは虚像である『星野源』だから。


そして最後のシークレットトラック『Stranger』ではこんな一節がある。

Hello 見たことない
Hello 聞いたことない
君と僕の中のStranger

この頃から表舞台の自分と、単なる一人の人間である自分。
そのバランスを取る事が必要だった。

自我を抑えて、自分を殺し、歌舞いていく決意。

自分の小屋の周りで荒れ狂う暴風雨に怯え、助けを呼ぶ声も聴こえない暗く静かな闇。


 

ポップミュージックの中心へ

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しかし、星野源は戻ってきた。
強く、光を放って。




星野源 – アイデア (Official Video)


『アイデア』

この曲は外向きの自分と内なる自分の心情を光と闇で表現しつつ、明日への希望を歌った曲だ。

涙零れる音は 咲いた花が弾く雨音
哀しみに 青空を

日々を生きる誰もが抱えている悩みや苦しみ。それは虚像が巨大化した星野源という存在でも同じ。

独りで泣く声も 喉の下の叫び声も
全ては笑われる景色

それでも皆の虚像である自分は、歌い続けなければならない。
歌舞く者として、演じ続けなければならない。

つづく日々の道の先を
塞ぐ影にアイデアを
雨の中で君と歌おう 雨が止まる日まで

楽曲中では笑顔でこちら側(画面の向こうの僕ら)を誘い
独り孤独に闇の中で苦しみを歌い
そしてまた表舞台へと戻っていく

合間で1シーンだけ脱いだジャケット。
舞台では見せない、彼の素の姿。
ギター1本で大切に歌うフレーズが、僕たちの胸に語りかけてくる。

闇の中から歌が聞こえた あなたの胸から
刻む鼓動は一つの歌だ 胸に手を置けば そこで鳴ってる


彼はもう小屋の中で叫ぶことをやめた。

その辛さや苦しみも、自分の見方で全く違う景色になる。
無限のアイデアを頭に浮かべ、暴風雨が吹き荒れる小屋の外に出た。

そして、君といることを選んだ。


ポップミュージックと君の間。
そのど真ん中に戻ってきた。



Mr.Childrenがこれまで常に歌ってきた、いわゆる『闇の中から光に手を伸ばす』というイメージ。

これは桜井和寿が病気をする以前に、主に強く歌われていた表現だ。

『少し切ないけれど、それでも前に進んでいかなくちゃ』という小林武史による世界観が、一つのジャンルとして確立された90年代のJ-POPの象徴的イメージ。


けれど病気をした後に桜井和寿は変わった。
闇と光の二項対立はそのままに、プラスの面はそのまま表現する事が多くなった。

わざわざマイナスの面を見せずとも、発想や視点次第で世界は素晴しいという事をリスナーに真っ直ぐに伝える為だ。

天気予報によれば 夕方からの降水確率は上がっている
でも雨に濡れる場所を探すより 星空を信じ出かけよう

闇から光に手を伸ばすのではない。
この世に闇があるなんて、はじめから皆が知っている。
そんな事は、わざわざ声に出して歌う事ではない。

僕たちが音楽に求める物は喜びであり、希望だ。
『エソラ』はそんな事を教えてくれる。

www.housework-kuma.com


星野源が見せる希望や光も同じだ。

皆辛いのはわかりきっている事で、それは自身も当たり前だ。
だからこそ自身が人に与えられるのは、音楽であり喜びであり発想であり世界だ。

この『アイデア』には彼の魅力が
いや、彼の全てがつまっている。


彼は今回の楽曲を『自分の名刺代わりになる曲ができた』と語っている。

すごい、恐ろしい。

闇から戻ってきた人間が、はじめの一歩として名刺代わりの一曲と胸を張って笑顔で表現できる強さ。

いわばセルフタイトルであり、星野源による『星野源』である。


星野源は桜井和寿と違った形で再スタートをきった。
始めから敢えて、ど真ん中に戻ってきた。

全ての苦しみと切なさと虚無を超えて
ポップミュージックのど真ん中に飛び込んだ。


 

全ては日常の中に

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星野源は音楽を愛している。
技術や表現や歌詞の内容の話ではない。

純粋に音楽を楽しんでいる様子が、様々な楽曲から伝わってくる。
だから、周りに人が集まる。自分も楽しくさせてくれと。


星野源 – くだらないの中に(Live at Osaka Jo Hall 2016)


『くだらないの中に』

この曲で星野源を知った方も多いのではないか。

どこにでもいそうな風貌の兄ちゃんがギターを持ち、日常にありふれた愛を歌う。

シャワーを浴びている途中に頭に降りてきた1コーラスをこぼさぬよう、裸のまま床を濡らしノートに書き留めたラブソング。

彼のアイデアはいつも暮らしの中にあり、音楽というフィルターを通して僕たちに日常の素晴らしさを教えてくれる。

彼はずっと生活や日常を歌っている。
それを心から大好きな音楽で表現している。
常に自分の生活の周りで鳴っていた音楽で。

売れて彼は変わった。
昔の感じが良かった。
存在が遠くなった。

そう言う聴き手の声も聞こえてきた。

勝手に自分たちで虚像を大きくし、自分の気持ちを投影できなくなった後は他者に理由を押し付ける。


いつの時代も、求められる者は同じ運命。


違う、変わったのは僕たちの方だ。


彼はギター1本で歌っていたあの頃から、ドームを満員にする今でも、同じ事を歌っている。何も変わっていない。

音楽と自分を取り巻く環境を全て受け入れて、それを力に変えた。


僕たちはその歌を、しっかりと受け止められているのだろうか?

どれだけその音に助けられただろう。
何度その言葉を口ずさんだだろう。

LからRに通り過ぎる音では無く、心の中に留めておきたい自分だけの音楽。

それは大衆に向けられた音楽でありながら、その解釈は僕たちに委ねられている。

あなたのポップミュージックとは何ですか?


深海から浮上し、小屋から出てきた彼ら。

僕たちが見るべきなのは彼らのプライベートでもステータスでもない。
彼らが鳴らす音だ、歌う声だ。

ポップミュージックは何よりタフで恒久的であり、どこまでも希望に溢れている。
それを証明する為に、今日も彼らは音楽を鳴らす。

さあ聴こう。ポップミュージックを。

 

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