Mr.Children『IT’S A WONDERFUL WORLD』改めて聴き感じた、桜井和寿の願いと復讐。

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IT’S A WONDERFUL WORLD

 

Mr.Childrenの10枚目のオリジナルアルバムとして発売されたこの作品。
その世界観から、多くのファンを魅了している一枚ですよね。   

 

僕も好きです。このアルバム。

 

でもちょっと待って…

 

この作品のどこが良いの?って聞かれると、僕はうまく答えられない。

 

なんか世界観が…とか。
ポップでいつでも聴けるから…とか。

 

みんなはどうして
『IT’S A WONDERFUL WORLD』
が好きなの?

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【Mr.Children】IT’S A WONDERFUL WORLD

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この作品はPOPSAURUSツアー後に発売されたオリジナルアルバムで、彼らがポップミュージックを再び鳴らしていくポップ再検証において非常に重要な一枚です。

僕もこの作品が好き。
気分に左右されずにいつでも聴ける。
明るさも暗さも、Mr.Childrenの振り幅がバランスよく自分に入ってくる感じ。


けどさ、僕は考えた。


この作品の良さがはっきりわからない状態で、なんとなく良いと思って聴いてる。

本当に、なんとなくな感じ。


www.housework-kuma.com

僕はブログでMr.Childrenの活動再開以降のアルバム作品について考察をしていて、このイッツは一番最初に書いた記事だ。


好きなMr.Childrenの内容だけど、慣れてないのか深く考えが及んでいないのかわからんがその時の記事を今見返してみると…

そのためこのアルバムのテーマである「ああ、世界は素晴らしい」という肯定とも皮肉とも取れるワード。
どちらも内包した考えを吐き出し、互いを理解した上で「それでも、前に進んでいこう」というMr.Childrenがこれまで訴え続けてきた物を作り続けていく決意表明なのではないでしょうか。


薄い……めちゃくちゃ薄いよこれ。隔たりの合成ゴムかよ。


このコンセプトの感想と、桜井さんの病気。そんでもって自分の行ってないON DEC 21のライブレポみたいになってるし笑


なんだこれ。


いやそんなの誰でもわかってるだろ笑
書籍だったら帯に書いてある様な当たり前の事しか書いてない。
当たり障りのない記事…


これ…わかってるつもりだな…。


僕は考察が各作品を一周し、記事を書く事に慣れた今だからもう一度この作品について考えてみたいと思った。

今まで通りの独りよがり考察で良い。それが考察なんだから。
だけど、とことん行こう。自分が満足するまで。


そこでまず、イッツを構成している要素を考えてみる。

IT’S A WONDERFUL WORLDを構成する要素

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この作品は
・世界観とポップ性
・桜井和寿の俯瞰とオプション
・超狙い撃ちした作品構成

で構成されていると、僕は考えます。

世界観とポップ性

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まずはこの作品に至るまでの流れと、世界観を構成する要素から見てみましょう。

この時、彼らの活動の流れとしては『DISCOVERY』→『Q』→『POPSAURUS』ツアーという展開をしてきました。

活動休止明けの『DISCOVERY』は歌い手と生活者のバランス取りであるリハビリをしてきました。

ジャケットのU2オマージュイメージやロック的なアプローチが目立つものの、その内容は至ってポップです。


何気ない日常の風景や、自分が普通に生きる事ができる喜びを表現した一枚。

この時はまだリスナーの事を考えずに(敢えて考えたくない)自分たちの音を鳴らし始めた、という感じでしたよね。

www.housework-kuma.com


そして『Q』
これは自由度が高く掴みにくい作品性でありながら、僕の解釈としては天の邪鬼な桜井さんの気持ちがにじみ出た人間らしい一枚だと思っています。

NOT FOUNDからはそれが溢れ出ていますよね。

この頃の桜井さんはまだ聴き手を信用していません。むしろ拒否している。けれど、愛されたい。

だから苦しんでいる。他者からの承認を望んでいる。

www.housework-kuma.com

このままでは自分たちは消えていくか、バンドが空中分解するだけ。

聴き手を拒否しているとはいえ、心の奥底では愛されたいと願っていたと思います。
虚像ではなく、本当の自分を見て欲しい。


このバンド危機を感じた桜井さんは、聴き手と対峙する事を選びます。

自分たちのできる事(ポップミュージック)を最大限聴き手に表現する。
正攻法で音楽シーンと自分自身に挑む事にしたんです。


それがポップ再検証。

ベスト盤をリリースし、現在のMr.Children集大成となるツアー『POPSAURUS』を経て、IT’S A WONDERFUL WORLDへ挑みます。

だからこそイッツは、ここからMr.Childrenの新しいポップミュージックを伝えていく重要な一枚になっています。


この醜くも美しい世界


この肯定とも否定とも取れるコンセプトワードが、物事の裏側を僕たちにイメージさせます。
桜井さんが大好きな二項対立で世界観を表現し、作品に深みを持たせています。


そこからイメージされる人間の様々な感情や願いに対し、桜井さんの作家性が最高に発揮されている歌詞やメロディ。
バンドメンバーの演奏はボーカルに寄り添うグルーヴを持ちながらも、エッジやダイナミズムによって聴かせる演奏にもなっています。

Mr.Childrenが放つ音楽は、譜面の5線の様に決して交わらない線ではありません。人々の中に日々流れる感情。
喜び、怒り、悲しみ、愛、出会い、別れ、希望。

その全ての線が交差し混ざりあい共鳴しているのが、僕たちが見ている景色です。そして日常です。
生きる人間の誰もが感じる感情。

そんなイメージを、僕たちの希望の虚像として音楽に変え音を鳴らしているんです。

だからロックでもラウドでもジャズでもテクノでもない。
これは、恒久的な力を持ったポップでなければ表現できないんです。


 

桜井和寿の俯瞰とオプション

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じゃあそんな作品を作った桜井さんは、どんな感情でこの作品に挑んだのか。

ここに、僕がイッツに感じていた違和感に対する一つのヒントがありました。


この作品にダイナミズムやうねりをもたらしている疑心、諦め、俯瞰、羨望といった感情。
これを表現する事で『この醜くも美しい世界』という対表現がリアリティを持ってきます。

絶対的に必要な要素です。


これは桜井さんの当時の思考が、ダイレクトに反映された感情です。

思い出してください。


彼が大きく変わったのはPOPSAURUSではありません。これはあくまでもきっかけです。

POPSAURUSの目的とは

バンドの空中分解を回避する取り組み
本当の自分を取り戻したい
(他者からの承認)

でしたよね。

ですが彼が本当の意味で大きく変わったのは、後に対峙する病気の存在です。

そこから彼は生きる事に誠実になり(本当の死を意識し向き合った)歌に対しても考え方を大きく変えて行ったんです。

その証拠として、歌うのが楽しいと感じたのはシフクノオトやBank Bandの活動開始以降と発言しています。

『TOUR 2002 DEAR WONDERFUL WORLD IT’S A WONDERFUL WORLD ON DEC 21』ライブ終了後に「こんな感情になるとは思ってもみなかった」と発する彼の顔は、生きる輝きに満ちています。


つまり病気が発症する前の桜井さんは、あの『Q』の独りよがりで天の邪鬼な気持ちを抱えた人間なんです。

愛されたいと願いながらも、どこかで他者を冷たい目で見ている。

彼の音楽活動を見た時に、Q~イッツの歌詞が秀逸なのはそういった感情の引き出しが多い時期だからと個人的に感じています。

それから僕はもうある時期から”ミスター・チルドレンというものを引っ張っていこう”みたいな意識もなくなっていったんです。
主導権を握ることはすごく疲れることだったから。

SWITCH 2002年 5月号 桜井和寿インタビューより引用


自身が主体である事を避ける、彼の心の内。


そして人気の楽曲『渇いたkiss』にはこんなフレーズが。

こんなにも自分を俯瞰で見れる 性格を少し呪うんだ

彼は普通の生活を取り戻すために、いつしか自身が主役である事を避けてきました。

何処かで彼は目の前の人間や虚像の自分自身から距離を置いています。真っ直ぐに向き合っていない。

それが『桜井和寿』という人間を守る術だったのかもしれません。

渇いたKissは『Q』ツアー時に製作された曲です。
良い働きとして、このリアルな冷たさが作品の温度感を下げている。

そしてこんな事も言っています。

僕も信用できません。ホント信用できないんですよね…。箱根の山道とかを車で走ってると、すっごい怖いんですよ。
というのは”ちょっとハンドルを回して飛び込んでいっちゃおうか”って気持ちが全くない人は、多分怖くないと思うんですよ。
自分を信用できる人は。だけど、僕はすごく怖いんです。“やっちゃうんじゃないか”って。

SWITCH 2002年 5月号 桜井和寿インタビューより引用


僕がどこかイッツに感じていた違和感。


それは僕たちが今では当たり前に感じている、桜井さんの音楽への愛情や向き合い方が明らかに異なっていたからでした。

表現している当事者がどこか自分を信じきらずに、完全に作家として俯瞰して描いた作品。


そんな、生々しい側面があったからです。

大衆だったりマスコミだったりというものに対して僕はずっと嫌な思いをしてきたんです。
それで、そこから逃げたいと思っていた人間が、すごく吹っ切れちゃってると思うんですよ、今。
で、その復讐として心の中で沸々とやってるんじゃないかという。
そういう自分がオプションとして裏にいて。

SWITCH 2002年 5月号 桜井和寿インタビューより引用

超狙い撃ちした作品構成

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とはいえ、このイッツには希望や温かさ。そして近年に無かったような爽やかさや僕たちが感情移入しやすいラブソングなど、大衆性がある曲も多く目立ちます。

それは生活者である僕たちに寄り添い、希望で始まり希望に着地するというポップミュージックの理想を体現したような仕上がりになっています。


この潔さは、自己の歌から他者への歌へ唄う意味を変えつつある彼らの姿勢が表れてますよね。

アルバムの発売日もデビュー日に合わせており、そこにはポップザウルスで彼らが一度区切りをつけ立ち上がっていくイメージを持っている事を感じます。

この時のMr.Childrenは攻めに出ています。
2001年の夏にベストアルバムを2枚同時リリースし、その翌月にベストアルバムツアーであるポップザウルス開催。

そして同じ夏にMr.Childrenの楽曲を劇中にふんだんに盛り込んだ『アンティーク〜西洋骨董洋菓子店〜』が放映されます。
このドラマはMr.Childrenの楽曲が重要なシーンで流れたり、劇中のBGMや効果音として使用されており当時大きな反響を呼びました。

ここでDISCOVERYで敢えてシーンの中心に戻ろうとせず『ミスチル的な物』を避けていた彼ら。
そこから考えればこの活動は真逆です。

今までの流れをそのまま踏襲するのではなく、次なる新しい一手(ポップ再検証)の為に、自らに一度区切りをつける。

その為に『ミスチルってこういう感じだよね』という印象を、大げさなくらいわかりやすく聴き手やマス層に改めてアピールし印象付ける事が必要でした。

僕たちはポップに戻ってきた、という決意表明をする為に。
シーンに対して、ここからMr.Childrenの逆襲を始める為に。

こうして彼らは再び大衆の中心に戻り、聴き手が求める音楽を奏で始めました。

詞を書く人間として、音楽を作る人間としては凄くピュアな気持ちで書いていて、でも出来上がった時に”これを聴いた人はどう思っちゃうんだろうな?”って考えると、ものすごく読めちゃうんですよ。
”こんなに読めちゃっていいのかな?”と。
”これ自分で自覚してないところで、本当は読みやすいものを敢えて俺自分で作ってねえか?”って。またすごく疑うわけです。
でも書いてる時の自分はものすごくピュアな気持ちで。

SWITCH 2002年 5月号 桜井和寿インタビューより引用

そう、このアルバムの人気が高いのは当然です。

なぜなら、桜井さんが僕たち聴き手を完全に狙い撃ちにした様な作品構成で仕上げているから。

まあ簡単に言うと『みんなこういうミスチルっぽいベタベタなやつが好きでしょ?』って感じかと思います。

聴き手の僕らは、それにまんまとハマっている訳です。

『one two three』『渇いたkiss』『Bird Cage』『君が好き』など、この楽曲に収録されている楽曲の半分は『Q』のツアー時に骨組みが成されていった物です。
これらの曲は桜井さんがピアノ1つで歌モノとしても成立する様な曲というイメージを持って作られ、その後セッションを経てバンド感のある楽曲に仕上がります。


ここで僕が意外に思った点が一つ。


気になった『君が好き』の存在。


このIT’S A WONDERFUL WORLDの姿勢からして、完全にポップ性を意識して『敢えて狙って作られた大衆的なラブソング』(良い意味で)だと思っていました。

Mr.Childrenのポップ性を表現する為に『君が好き』の様な完全に狙いにいった王道ラブソングを入れつつ、『LOVEはじめました』の様なシニカルで批評性を表現した楽曲で聴き手の受け取りレンジを広く取らせ、世界観を作り上げる。

ポップマイスターとして「真っすぐな愛の歌も唄うし人間の見たくない部分も唄うよ。でもみんなこういうのが聴きたかったんでしょ?また僕たちはポップを始めて行くけどいい?お味はどうですか?君に合うかな?」と、完全に作家として『作品』を提示する。

つまり歌い手の願いや希望が込められた物ではなく、消費者が望む物を提供するイメージでした。


けれどこの『君が好き』の製作時は『Q』ツアー時。この時は、自分がどの方向に進んで良いか迷っていたと話しています。

つまりこの時点で、ポップに向かって行く決意や気持ちは定まっていない。


ですが彼はQの発表時、原点回帰をイメージしたラブソング『口笛』について、こんな事を言っています。

ほんとに自分で涙が溢れるような感じがあったので、「ああ、これはでも、嘘はないわ」っていう確証がその時できたし。
ROCKIN’ON JAPAN 2000年 9月号 桜井和寿インタビューより引用

つまりこの『君が好き』は大衆へ応えるラブソングとして作られた訳ではなく、(こんな楽曲が書ける)自分のクリエイティブ力を確認しつつ自身の自尊心を保つ為の歌だと考えます。(もちろんその解釈は聴き手に委ねられる)

先程登場した、『音楽を作る人間としては凄くピュアな気持ちで書いていてる』という内容の発言ですね。


口笛と同じ、ある意味での自分へのラブソング。
という位置づけ。


そしてこのアルバムの中には『UFO』という楽曲が収録されています。
この曲について桜井さんは『冷めかけたスパゲティをフォークに巻き付けては』という1フレーズの為に作られた楽曲と発言しています。

このフレーズはBank Bandでカバーされている中島みゆきさんの楽曲『僕たちの将来』へのオマージュです。
『僕たちの将来』では男女が将来の二人の関係を不安に思いつつ、どうか良い方向に進んで欲しいという願いが表現されいます。 

『ブラウン管の向こうの戦争』と『テーブルで対峙し悩む自分達の関係性』というスケール感の対比を見せ、自分ではどうにもできない他人任せな弱った気持ちの二人を描く詞の世界。

これはIT’S A WONDERFUL WORLDにも通ずるイメージです。
そして何より男女の関係性がこの当時の桜井さんの心情を表現しているかの様ですよね。

彼もきっと不安だったんだと思います。
自分がこれから音楽を通し、自らや聴き手と対峙していけるか。

そして自分の進むべき道に迷っていたんだと思います。そんな小さな願いを聴き手に託した。

この醜くも美しい世界で

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ここで僕のひとつの結論

このIT’S A WONDERFUL WORLDという作品は、桜井さんの当時の心の移り変わりを如実に切り取った生々しい作品である。

それと同時に、僕ら聴き手が必要としているポップミュージックを奏でる決意と希望に満ちたアルバム。



だから歌の中に

独りの人間としてのピュアネス
音楽家として聴き手に応える感性

この2つが同居している。


つまり作り手の願い(ピュアな音楽家としての自尊心)とクリエイターとしての感性(聴き手に応える音楽が作れる能力)がフルに発揮され、二項対立からくる世界観の広がりを聴き手がイメージできる素晴らしい作品になっていると僕は考えました。



だから歌の中にはこんな2つのイメージを持った歌詞が出てきます。


自分を守る為に俯瞰して物事の核心を避ける心理を持った桜井和寿

高らかな望みは のっけから持ってない
でも だからといって将来を諦める気もない

あなたの口づけで僕が変われたならいいのに
お互いの両手は自分のことで塞がってる

良く取っていいのか悪い意味なのか?
良く分からずしばらくヘラヘラ笑ってた

僕の心を無重力の宇宙へ浮かべる
二人を 夢の中へ連れてっておくれ
UFO 来ないかなぁ

Oh Baby 通り雨が上がるまで
カプチーノでも頼んで待とうか?


希望の虚像として未来への希望を持ち、主体的に進む力を持った桜井和寿

今度はこのさえない現実を 夢みたいに塗り替えればいいさ
そう思ってんだ 変えていくんだ きっと出来るんだ

何度でも 何度でも 僕は生まれ変わって行ける
そうだ まだやりかけの未来がある

愛しき人よ 君に幸あるように
もう後ろなんか見ないぜ 1・2・3!

腐敗のムードを かわして明日を奪うんだ

このスニーカーのヒモを結んだなら さぁ行こう

Oh Baby 通り雨が上がったら
鼻歌でも歌って歩こう

この両端の人間性が、一つの作品の中に内包されている。
結果、聴き手は幅広い世界観に深みを持って音を聴くことができ、自身の生き方や内省に重ねる事ができる。


このアルバムは、桜井和寿という一人のリアルの存在が、Mr.Childrenというポップモンスターの虚像に願いと希望を託した。

そんな一枚なのではないでしょうか。



そりゃみんな好きですよね。


彼は作品の最後にこう歌っています。

手遅れじゃない まだ間に合うさ

恐竜となった彼らは優しい歌を届ける為に進み始める。

ここから、新しいMr.Childrenが始まりました。

Mr.Children「IT'S A WONDERFUL WORLD」偶然と必然が重なった、奇跡的な対比表現作品を考察。

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