クマログ

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【Mr.Children】Q ジレンマと弱さを抱えた歌い手の成長の物語

こんにちは、kumaです。


前回は『DISCOVERY』の考察をしましたが…


今回は『Q』です。



本当にこの作品は難しい!

ファンの間では『ミスチルを聴き始めの人には取っ付きにくい作品』と思われているでしょう。


けれど、実は『POPSAURUS』や『IT'S A WONDERFUL WORLD』にしっかり繋がっていく作品なんです。

つまり聴き手が求める『Mr.Childrenっぽさ』への渇望を、受容し始める通過点。


まさにその瞬間がこの『Q』には詰め込まれています。


そんな難しくも、今のMr.Childrenを作るきっかけとなったこの作品。

考察していきます!

『Q ジレンマと弱さを抱えた歌い手の成長の物語』

得体の知れない力

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元々セッションで作られていった曲が多く、ライブのアレンジも自由度が高い演奏が多いこの作品。

バンドとしても演奏や振る舞いに余裕が出てきて、コンサートを見ても『遊んでいる』メンバーの楽しそうな姿が映ります。


今のコンサートの様に『完璧に作りこまれたアレンジ』ではなく『その場のノリでどうとでも変えられる』様な身軽なアレンジが、観る者を気持ちよくさせてくれます。

所謂、中堅バンドの域に達してきて『キャリアを築く』事から解放された自由な心が作品に表れています。


そんな自由な音楽性が詰め込まれた、得体の知れない異色作『Q』

前作『DISCOVERY』は深海から生きる希望を探す、歌い手のリハビリテーションも兼ねた作品でした。


『DISCOVERY』『Q』
この2作についてPOP再検証後のインタビューを読むと、結構辛辣なことが書いてる部分が多いんですよね。


『エゴの作品』『温かさが無い』
桜井さん自身の事な筈なのに、まるで他人を見る様な俯瞰した印象で語られる事が多い作品なんですよね。

だから少し悲しくなるんです…
私は大好きな2作品なんで。


この頃にやっと私情のスキャンダルが、桜井さん自身の中で清算されつつありました。


作品に対しても『責任』や『こうあるべき』という方向性や、自分に課せられた精神的な枷が無いと語っています。

それがきかっけで、少しずつ自分の欲望やエゴが音楽を通し滲み出るように。

ダーツの合計点で曲のテンポを決め、コード進行はくじ引きで…笑


レコーディング中にひらめきと遊び心で様々な場所に『Q』と書いたポスターを貼りつけ、結果そのままタイトルとして採用。

自分ではどうしようもないエネルギーを感じる機会が多く、その実態はわからない。

その感覚をこの『Q』というタイトルに込めたと語っています。


聴き手と自身へのジレンマ

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『DISCOVERY』の雑誌インタビュー時にはっきりと「リスナーの事は考えない」と発言しています。

純粋な目で自分を見てくれない聴き手に対し、彼は嫌気がさしています。


潜水士の衣装が印象的な、このQのジャケット

これは『深海からの浮上』を表現しています。

今でさえ聴き手に寄り添った音楽を届けている彼ですが、この時期は深海とは別の冷めた目をしていました。


しかし、彼は愛されたいんです。

時代に流された音楽の虚像『Mr.Children』としてでなく
一人の人間『桜井和寿』として

そんな自分を真正面から受け入れられず、強がるばかり。


『Q』が発売された前後の音楽シーンは間違いなく新しい音楽の風が吹いていました。

GLAY、LArc-en-Ciel、浜崎あゆみ宇多田ヒカル椎名林檎

新しい才能たちがキャリアを積み、聴き手の話題をさらっていく。

『DISCOVERY』の発売後もMr.Childrenは終わったのか?なんて声さえ囁かれ始めていました。


理由としては活動休止、スキャンダル、作品売上げの低下…
様々な要素が負のイメージとして、少しづつ一般リスナーに広がっていきました。


この頃の桜井さんは深海を引きずっており、CDを売上げても何の意味も無かったと言っています。
確かにそうでしょう。流行を迎合する大衆は音楽を聴かず、その現象や虚像を追っているからです。


しかし次回作『IT'S A WONDERFUL WORLD』で始めたPOP再検証から、彼は全てを受け入れました。

『売上は気にする』『アルバムの売上は前の作品への評価だと思っている』『他人から認められたい』
彼の発言は変わりました。自分を受け入れたからです。

そう。心の奥底では、人間が持つ当たり前の様な欲望があるのです。


だから自分の持てる才能をフルに発揮し『Q』という傑作を作り上げました。

それが強がる事でしか自分を表せない、精いっぱいの自己表現だから。


切なくとも 微笑みを

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『NOT FOUND』

お得意の二項対立ををフルに使い『歌い手と聴き手』そして『僕と君』の関係性に悩む主人公の苦悩を綴っています。

僕はつい(僕は対) 
愛という(Iとyou)
ジェットコースターみたいに浮き沈み(uh kiss me)

天才ですね。

見えない物に頼って逃げる歌い手(見えない力というQの一要素)
形で示してほしい聴き手(ミスチルという虚像への願い)

作品を出す、直に会える機会を作る、メディア露出をする。
形で示す事は簡単です。しかし心が無ければそんな物は意味を成しません。



この頃の桜井さんは自分を守っています。

その起因は『深海』で負った傷なのか、『DISCOVERY』で迷った自分探しの道なのか。

他者や物事に対し素直になる事ができないから、痛みを抱える。

セールス、聴き手、自己受容、音楽性の在り方。

一見すると力が抜けて身軽な様で、心の奥底には純粋な願いが見え隠れしています。


書くまでもないかもしれませんが、この心情は後に襲い掛かる病気により180度ひっくり返ります。


桜井さんは、納得した感情で言葉が出てくるまで発言をしない人間です。

しかしこの頃の彼のインタビューを見ると、少しその印象とは異なります。

言葉尻に表現される「…」
この沈黙は何かを考えているというよりは、誤魔化し避けている様な印象。

きっと本質や思いは別の所にあったのでは無いか?と感じます。


とはいえ『NOT FOUND』はMr.Childrenの全てが詰まっていると私は思っています。

シャウト、高音、愛や二項対立、作詞、内包的なロックスピリッツ…

桜井さんが『最高傑作ができた』と誇るくらい素晴らしい楽曲に仕上がっています。


NOT FOUNDのPVは『同じ部屋に住む男女のすれ違い』を描いています。

男性が家の中に帰ってくるシーンは全部で4つ。

いつもと同じように、男性(歌い手)女性(聴き手)の構図です。


①寝ている女性、男性は水槽の魚に餌をやる


男性が女性のいる部屋に帰ってきますが、女性には見向きもせず水槽の魚に餌をやります。

これは相手に興味が無く、自分の好きな事(Qで表現されている自由な音楽性)にしか考えが及んでいない様子。


②新聞を読む男性、鏡で自分の姿を見てその後アイロンをかける女性

男性は帰ってきて新聞を読みます。
女性は鏡に写る自分の姿を見た後、彼のシャツにアイロンをかけます。

男性が相手に興味が無い構図は同じ。女性も自分しか見ていません(相手ではなく結局自分が大切)

女性がかけるアイロンは相手に喜んでもらう為でしょうか。(歌い手に対して形で表す好意、ファンがアーティストへ尽くす心理と同義)

ピンクのバスローブを着た女性は、男性の青色のシャツにアイロンをかける。

今では有り得ませんが、当時からするとステレオタイプな家庭内での『男女』を表しています。
そんな『上辺だけの役割』を互いに演じているのでしょうか。


③手の手入れをしながらテレビを見る女性、男性はテレビを消す


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NOT FOUNDのジャケットには『蜂の巣を掴む女性の手』と『防護服を着た桜井さん』が描かれています。
やはり桜井さんは自分の身を守っていますね。

蜂の巣には蜜はありません。(中身が無い空虚な物=深海のミスチルを追う聴き手)

けれど君に触れていたい、痛みすら伴いと歌っています。

テレビには防護服を着た桜井さんが、恨めしそうな顔をして画面に映っています。

テレビを消す男性。テレビに映る自分と似た男(スター稼業を背負ったミスチルという虚像の自分)を見たくないのでしょう。


④寝ている女性の元に帰ってくるが、背を向けて眠る男性

女性に背を向けて眠りにつきます。

結局この物語で男性が、女性と目を合わすことは一度もありません。

同じ空間にいる(好意を持ち合って共に過ごしている)のに、顔が合う事はなくすれ違い続ける男女。


ここで興味深い点が一つ。

女性側は何度か声をかけたり顔を合わせようとし、相手が喜びそうな事(アイロンや身なりのチェック)をしているんです。

それを男性側は全て受け流しています。

そして相手役の女性は4名。
部屋の数だけ存在し、次々と替わっているんです。

つまりこれは、女性(聴き手)など誰でも良い(誰だって関係ない)
『自分の中身』を見てくれない相手は要らない。

という事が見て取れます。


桜井さんがイメージしている、歌い手と聴き手の現状が暗喩となって表現されているんです。

この辺りは『DISCOVERY』で「ファンの人の気持ちを考える事は無い」と明言した気持ちが表れていますね。

顔を合わせず、自分の好きな事をやり続ける男性。
けれどいつか本当の自分を見てくれる相手を信じて、何度も部屋に帰ってくる。

虚像の自分では無く、ただ本当の自分を愛してほしいだけ。


変わっていく心

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じゃあ『Q』ってつまり何を表しているのか?ここを紐解いていきましょう。

それには注目すべきポイントが2つ。

①原点回帰

才能全開で制作した『Q』にはひとつ変換点が。

ラブソングの復活です。

スキャンダルによりモラルとの探り合いを続ける間に、彼の歌は愛から遠ざかっていきました。

そんな彼が、ここ最近ずっと避けてきた『ミスチルっぽい』ピュアな愛の歌をまた唄い始めたのです。

ただここで綴るラブソングは、全てが聴き手に送る愛の歌ではありません。

責任感や後ろめたさから解放された自分が、ようやく愛の歌を真っすぐに描けるようになった。
という、云わば自分へのラブソングなんです。

近年の傾向として、楽曲はセッションから作られる事が頻繁にありました。

しかし『ロードムービー』『つよがり』『Surrender』『安らげる場所』これらは桜井さんのイメージ先行。

だから曲の内容が私小説的であり、聴き手が物語を想像しやすい物になっているんです。

桜井さんがポップマイスターとして完全に『狙いにいっている』作品群。


どう?こういうのが聴きたかったんでしょ?という感じ。

POPを肯定し始めた『LOVEはじめました』の

「毎度毎度のことですが」「去年よりおいしくできました」
「そいつで大人になりました」「あぁ お口に合いましたか?」

これに近いと思います。少し物事を斜めから見て皮肉も込めた感じ。


改めて考えてみると、この正攻法で勝負する考え方。

これがPOPSAURUSやPOP再検証(ミスチルの良さを肯定し探求する)への布石になっている気がしますよね。


だから深海以降に敢えて避けてきた口笛の様な『ど真ん中のミスチルっぽさ』を出した。


②家へ帰る

そう一発でクリアして その向こうへ行こう
目指してたものの その向こうへ行こう
そして I’ll go to home

『その向こうへ行こう』で桜井さんはこの様に歌っています。

この曲は、目の当たりにした壁に怖気づく自分に対し、まだまだ本気はこんな物じゃないと威勢よく進み始める歌。

壁は前作のアルバムで胸に秘めた『終わりなき旅』の壁でしょうか。



ここで一つ疑問が。

目標を目指す為に進む筈なのに、なぜ家に帰るのでしょうか?

それは『家に帰る』=『自分たちの原点に戻る』からです。


前述した王道ラブソングの『口笛』にしても同様です。

自分探し(DISCOVERY)の末に見つけた道が、自分達の原点(ポップミュージック)だと気づき始めているからです。

このイメージが、彼をPOP再検証へと導いていくんです。

バックで流れるコーラスは、こう歌っています。

『Beyond my wish』『Beyond my time』
『Beyond my sex』『Beyond my place』

願いや時間、性別や場所を超えて
もう一度大切な物を奪いに行こうという事ですね。


聴き手と自身の受容

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このアルバムは大きく、4つのパートに分かれていると考えます。
『現状表現』『聴き手への失意』『内省への気づき』『自己と他者の受容』です。

①現状表現

『CENTER OF UNIVERSE』は様々な物を吸収した上で真理を悟り、言葉で表現できない力や自信を歌う曲です。

イライラして過ごしてんなら愛を補充
君へと向かう恋の炎(ひ)が燃ゆる
辺り散らしは言わずもがなのタブー
総てはそう 僕の捕え方次第だ

そう、彼は自分がジレンマを抱えている事をわかっています。
だからこれからもう一度愛情を示す。深海の様に他者のせいにはしない。

全ては自分の心の在り方で変わっていく事を認識しています。

自由競争こそ資本主義社会
いつだって金がものを言う
ブランド志向 学歴社会 離婚問題 芸能界
でも本当に価値ある物とは一体何だ⁉
国家 宗教 自由 それとも愛
一日中悩んだよ
でも結局それって理屈じゃない

これらは、今までのMr.Childrenが世に歌ってきた言葉。
けれど原因は対外的な物や理屈ではなく、全て自分という事。

だから敢えて「あぁ世界は素晴らしい」と歌います。
全ては自分の心で変わっていくから。



『その向こうへ行こう』

これは前述した通り目の前に壁が立ちはだかる主人公の話。
つまり自分探しを終わらせ、どう自信を取り戻すかという歌です。

まだ本気を出していないという、桜井さんの負けん気が表れています。

②聴き手への失意

『NOT FOUND』は前述の通り。



『スロースターター』

ここを逃げ出して 田舎に帰れば
これ以上嫌な事 知らずに済みそう

他のミュージシャンに比べ、今の自分たちに勢いは無い。
DISCOVERYで再出発を果たした、云わばスロースターター。

けれど逃げ出して、甘えられる田舎に帰るのではない。

自分達の戦いの場(POP再検証)に身を動かしていく。



ここから失恋の歌が続いてきます。
『Surrender』

さよならを 君が急に云うからさ

一切合切を無くしても 構わないと思えてたのに
そう信じれたのに

深海では何も信じられなくなり、殻に閉じこもった。
自身の責任でありながらも、スキャンダルで離れたファンは数多かったでしょう。

『君』がいなければ不安定と歌っています。


『つよがり』

愛しさのつれづれで かき鳴らす六弦に
不器用な指が絡んで震えてる

愛を失い、する(歌う)事が無くなった主人公。
そんなギターをかき鳴らしても、上手く音は鳴りません。

そしていつか僕と 真っすぐに
向き合ってよ 抱き合ってよ
早く 強く あるがままで 強がりも捨てて

聴き手に寄り添ってきてほしい気持ちが表れています。

③内省への気づき

『十二月のセントラルパークブルース』

ここにくると、失恋の中で気づき始めます。
自分にはすべき事があるのではないか?

ダコタハウスの前の道で恋人たちとすれ違う
僕はコートの襟をたてて あぁ 君に抱きしめて欲しい

ダコタハウスとはBEATLESのジョンレノンが銃殺された場所。

つまり音楽が死んだ場所です。

すれ違う恋人はクリスマスを前に楽しそうな雰囲気。

『すれ違う恋人たち』とは他のアーティストを愛聴している聴き手でしょうか。

もう自分の音楽が届いていない世の中への悲しい気持ちと比喩。

街をうめ尽くすクリスマスツリーを見てたら涙が出てきた
ちょっと待て僕はもう三十だぜ 十二月のセントラルパークブルース

街に溢れる輝くツリー(旬の音楽)は、こんなにも恋人たちを幸せにして(満たして)いるのに自分ときたら一人寂しく乾杯。

いい年になって、イノセントブルーなんて青い自分探しをやってる場合じゃない。

昔は物憂げな六月の雨に打たれながらも、愛に満ちた奇跡を信じ歌っていた彼。

今は十二月のセントラルパークで、虚しいブルースを一人で歌っています。


主人公はここで気付きます。
アルバム作中で主人公が気付きを得る展開は『I LOVE U』のランニングハイと同様ですね。

I LOVE Uも、扉の向こうの世界を夢見た自分よがりな主人公が『愛と日常』という大切な物に気付く瞬間が見られる作品。

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『友とコーヒーと嘘と胃袋』

大切な物を失い失意に堕ちる主人公は、あらゆる物を受け入れようとします。
ライブではCD音源にないフレーズが。

例えばそれは やり場のない怒り
例えばそれは こらえきれない悲しみ
飲み込んで 消化して 全部エネルギーにかえてしまおう

例えばそれは 愛する人との別れ
例えばそれは 突然訪れる天変地異
飲み込んで 消化して 全部筋肉に変えてしまおう

ここで弱さを自覚し、手に入れた強さが『Hallelujah』に繋がります。

自身に降りかかるマイナスな物をプラスの力に変えて、君に光に射す存在になる。

友コーは、一聴すると軽めの曲に聴こえます。

この『Q』の仮タイトルは『Stomach love』
直訳すると、胃の愛。ふざけていますね笑

しかしこの曲は彼らが避けてきた『感動的な愛の歌』に繋がるきっかけとなる、大きな意味を持った曲なんです。


ロードムービー

二人は、オートバイでタンデムをしています。

二人の間にある問題は、歌の中で何も解決しません。
けれど、街灯が示す2秒後の未来へ進みます。

手探りな二人は『次に来る未来がきっと何かを変えてくれるだろう』
そんな期待と闇を超える願い込めて、次の未来へ。



『Everything is made from a dream』

近頃は道草せず家に帰る僕だ

自分の家(原点)へ戻る為に、もう回り道や立ち止まる事はしない。

この曲中に流れる語り。
現代科学の負の部分を見つめなおし、物は使い方次第でどちらにも転ぶという内容が流れます。

このアルバム中に何度か登場するキーワードでもあるこの内容。

全ては捉え方次第であり、それをプラスに変換するのは自分の考えや力次第という事を示唆しています。


④聴き手と自身の受容

そして流れてくる『口笛』のメロディ。

ここで主人公の人間性は変わっており、温かい人格が映しだされます。
ただ愛しい人への愛情を表し、真っすぐに優しく手を差し伸べる主人公。

歌詞を書きながら自分で涙し、嘘は無いと感じたというエピソードが何とも胸を打ちますよね。

それはつまり『聴き手への愛を取り戻し始めた』『自分を少し認められ始めた』から。

ラブソングが描けるクリエイターとして、桜井さんが自信を取り戻した瞬間だったのかもしれません。

形あるものは次第に姿を消すけれど
君がくれた この温もりは消せないさ

相手が必死に求めていた物を穏やかに諭し、相手を肯定しながら自分の思いを表す。

これは自分のジレンマと向き合い始めたからできる事であり、ここ数年で失っていた表現でもあります。

子供の頃に 夢中で探してたものが

桜井さんは2作目の『Kind of Love』までが、純粋に桜井和寿として歌っていた時期と発言しています。

自分達がまだ澱みを知らない真っ直ぐだった頃。
そこに二人で手を繋いで帰りたいという気持ちの表れ。


こうして穏やかな強さを手にした主人公は、強くなる事ができました。


『Hallelujah』
聴き手を肯定し、導いていく強い思いを歌っています。

僕は世の中を儚気に歌うだけのちっちゃな男じゃなく
太陽が一日中雲に覆われてたって 代わって君に光を射す

独りよがりな愛情(自分にも他者にも)に悩んでいた作品前半。
その頃に比べると、大きく変わり成長を遂げた主人公の姿が見て取れます。


最近いろんなとこで言ってるんですけど、音楽を愛している人間はたくさんいるかもしれないけど、僕らは音楽に選ばれている。
愛されているという感じがすごくしたんですよ、今回。
実感というか、ある意味それは宗教みたいなもので、僕らにとって音楽という宗教。
だからこの音楽という、神なのかはわからないけれど…。

ROCKIN’ON JAPAN 1999年1月号 桜井和寿インタビューより


このアルバムでは『幸せ』というワードが何度も出てきます。
桜井さんの心の内の願いが、言葉となって出てきています。

きっと桜井さんは救済を求めていたんだと思います。様々な意味で。

その真理が分かった時、マイナスからプラスへ転換できる力を歌えるようになった。

そんな愛と力に満ちた楽曲だからこそコンサートでも様々にアレンジされ、多く歌われているのだと思います。


この『Hallelujah』は、深海から完全に脱出したきっかけとなる後の作品『SENSE』にも繋がってきます。

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『Q』は無機質で難解な内容の楽曲が多い、Mr.Childrenには珍しい作品に見えます。

実験的?エゴの作品?異色作?

いいえ、その本質は全く異なります。

これは自分の殻に閉じ籠った人間が、他者と自分を受容できる様になる感動的な作品。

ここから彼は変わっていったんです。


これを知ってから私は本当の意味で、この作品が大好きになりました。


最後に残した愛の唄

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『安らげる場所』

これが作品最後の曲であり、これまでのライブでも歌われていない理由。

それは

これから『他者の為の歌』を唄っていく彼が、最後に歌いたかった『個人的な愛の歌』だからだと考えます。


心が変わり始めた彼にとって、最後に残しておきたい大切な人への思い。

きっとこの曲を歌う事により、彼にしかわからない私情やしがらみに一つの終わりを告げたかった。


これから彼が歌うのは、私たち聴き手への希望の唄。

希望の虚像としての役割を背負い、誰からも心から愛される様なミュージシャンになっていく長く険しい道。

『Q』はそんな彼らが変わっていく瞬間が描かれた、聴き手にとって貴重な一枚なんです。


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