【変わってる】ミニマリストの違和感【彼らの不自然な欲求】

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こんにちは、kumaです。

 

ミニマリスト

 

最近すっかり世間でも浸透したこの言葉。

 

僕も物を捨てるのは好きです。
片付けて身軽に生きたいと思っています。

 

けれど

 

ミニマリストという生き方には違和感を感じてしまいます。

 

それは彼らが精神的に何かに依存していて、健全な状態で無いのではないか。

という疑問。

 

少しずつ、話していきます。

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ミニマリストは変?

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ミニマリストの方って色々削ぎ落している様に見えます。

けど実は、執着心や承認欲求がもの凄く強いのではないかって疑問。


彼らの生活を思い浮かべてみよう…

テーブル、折り畳みのマットレス、洗濯機、冷蔵庫、ケトル、数着の衣類、身の回りの小物、Mac…

こんな感じが想像できます。

彼らは自分の人生や生活に必要な物を厳選し、物に執着しない生き方を実践している。


けれど、どうしてそんなに捨てるのか。


私も捨てるのは好きな方だ。単純に気持ち良い。

心も生活も身軽になるし、生きやすくなる。


物欲に溺れている人は弱い。

モノを所有する事が自分を満たす方法であり、自分の価値はこの生活やモノにある。

そう勘違いしているからだ。

だからモノが無くなった時には、何もできなくなる。自分を見失う。


モノに縛られない考えは理解できる。

だから『自分が本当に必要な物』を、最低限持って生活をする。

良いと思う。


だけど、彼らは不自然で極端だ。


 

ミニマリストは変にモノへの執着がある?

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彼らは言う。

「モノも人間関係も捨てて人生変わりました!」
「余計な悩みや時間に縛られずに本当に楽」
「これが私の望む生き方だったんです」


そんなに捨てる必要ってあったんだろうか。


極端に何かを否定する人は、その問題に対して何かコンプレックスや劣等感がある様に思える。


『自然』ではなく
『作られた何か』を感じてしまう。


何が大事なのか、何が本質なのかを突き詰めた結果。

それがこの何もない部屋。


本質って如何にも、使った者勝ちなイメージがある言葉です。
単純に両者の利害が一致したり、誤解をしているだけ。

全ての物事が一つの事実や真実に辿り着く程、単純じゃないと思います。

共通理解ではなく、都合の良い共通誤解が発生している。


物を増やすという生き方から
物を無くすという生き方に変わっただけ。


何かに執着している精神性は何も変わっていない。


そうでもしないと心を保てないんだ。
白か黒でしか決められない、決めないと落ち着かない。

グレーの海の中で、岸部を探して溺れる自分を見たくない。


本当に強い人は、どんな環境や出来事にも柔軟に対応し適応できる。

失敗をしても、強く進んでいける自分を知っているから。


けど精神的に弱く『何かに依存している人』はそれができない。

自分が一番だから、守りたいから、救済されたいから。


宗教的感覚だと思います。(宗教が悪いという事ではなく)

生き方や在り方が何かに帰属していないと、自分を保てない。


ミニマリズムは宗教では無いという声をよく聞きます。
所謂主義であり、何かを崇拝している訳ではない。


けれど、自分を崇拝しているんだと思います。
寧ろ自分しか信じていない。


だから使えるモノだけ最大限に使って、後は不要。


周りより、自分を求めている。

一人で何かをする事が好きで、自己完結する。
集団で何かをするのが苦手。


私も集団で何かをするのは得意とはいえません。

けれど、個人の事ばかり考える思想になるのは危険です。

周りで何が起きていても、俯瞰して他人事。

それは世の中に生きる上で必要な、協調性や想像力の欠如に繋がります。

けれど、そんな個人主義の人で世の中が溢れかえったら?


ミニマリストの変わった自己中心的な考え方

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彼らの生き方は一見スマートに見えます。
最高に効率が良い生き方を追求して、何にも縛られない。

けど、これって裏を返せばかなり自己中心的な考えと言えます。

私は誰にも迷惑をかけていないし、法律だって犯していない。そう思うかもしれない。

 

彼らは損をしたくないんだ。
常にコストパフォーマンスを最大に考えた生き方をしている。

他人の邪魔な干渉のせいで、自分の時間が奪われる。
世間の歯車の一部になってしまえば、やりたい事が出来なくなる。

これってつまり、かなり自分を優先している考えに見える。

だけど世の中の人が皆、この考え方になったらどうなんだろう。


「わざわざ買い物なんていかないです。何でもAmazonで頼めますから」
「友人はいらないです。自分の時間が無くなるので」
「隣に誰が住んでいるか知らないです。余計な人間関係はいらないんで」


自分がいかに効率良く生きるかに全てを注いでいる。

この不条理な世の中で、自分の人生を満足できる物にしたい。

だから自分さえ良ければ『周りは二の次』的な考えがある気がしてならない。

自分だけの研ぎ澄まされた理念の中で生きる、というより

世間の荒波から自分は抜け出せたぜ!感がすごい。


だってそれは自分が好きでやっている事だから問題ないじゃない。
最小限の労力で、最大限に満足する生き方を送ってるんだ!


これに共通するのが、成功したと言えるようなブロガーの一部の方。


「いつまでそんな会社に搾取されてるの?」
「今時そんな働き方無駄。自分の時間を奪われてるだけ」
「私はこんな生活できる様になりました!あなたはいつまで甘えてるの?」


成功した途端に他者の状況や環境を考えず、自分よがりで一方的な成功発信をし始める。

自分が生活している世の中。
それは誰かの努力や成功、そして恩恵の元に支えられているという事を忘れてしまっている。


一つ思うのがこういうミニマリストの方々は、その生活が維持できなくなった時にはどうなるのでしょうか?

彼らは現代社会の恩恵を大きく受けている。
現代の流通や、情報技術に依存する生活形態。


例えば、災害が起きたらどうするのでしょうか。

電気が止まりネット回線にアクセスできず
備蓄品や防災用品を持ち合わせていない

今まで無駄と削ぎ落とした、自分には無関係の周りの人間に頼るのでしょうか?

それが無くなった時「復旧はまだか」「どうして助けてくれない」と声高々に嘆くのでしょうか?

ミニマリストである自分を保つ為に、震災のリスクは少ないとバイアスをかけるのでしょうか?


インフラも情報も流通も安全も、誰かの支えの上に成り立っています。

だから今の彼らの人間関係や環境が維持できるのは、平和である世の中の証なのではないでしょうか。


ミニマリストの変な対人欲求

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自分に必要のない物を削ぎ落した、無駄のない生活を送っているミニマリストの方々。

そんな中、そぎ落としきれていない物もある。

人間関係だ。


表層的には余計なしがらみや、面倒な付き合いからは距離を置いている様に思える。

けど彼らは『ミニマリスト』である承認を欲している。

「いつもブログ見てます!」
「すごい生活しているね。君らしいね!」
「どうやって物を減らしているの?片付けを教えて!」


ミニマリストはまだ少数派であり、その存在自体が注目される。
皆がその生活ぶりに目を丸くして、興味を持つ。

『物が持たずストレスフリー。そんなスマートに生活している自分』を見てほしいのだ。


だからブランドにはこだわり、自分らしさをアピールする。
(ここで本当に誰も知らない様な商品や、利便性のみ追求した物を使用している方は本物と言えると思う)


そしてイイね!を欲する。

『ミニマリストの持ち物』なんて販促全開の雑誌企画みたいな物を披露する。


ネット上において他者からの承認を得るのは、間違った行為ではない。

自分の人生が楽しくなるなら、行ったほうが良い。私だってそれは単純に気分が良い。

ボタン一つで自分が認められている感が得られ、それが連鎖していく。
外でも家でもその承認感にアクセスでき、収入にも繫がっていく。


けれど彼らのずるい所は

その恩恵を受けているにも関わらず『私は無駄な人間関係を断捨離しています』感を出している所。


結局は恩恵を受けている以上、その人たちとの関係は無駄では無い筈。


その数が膨大になっていけばいく程に承認感は増え、自尊心は大きくなっていく。

ある意味でのマイノリティを売りにしている彼らが、大衆的な人気を得る事に快感を感じている。


だからその為に自分づくりをする。 

人との繋がりは求めない。けれど、自己愛は強い。

だから自分の生き方を認めてほしい。


自分の満足した生き方を突き詰める主義。
けれどその内側には、誰かと繋がりたい大きな欲求が見え隠れする。


だけどある日突然、その承認が得られなくなってしまうとどうだろう。

確立してきたアイデンティティを失う。


収入が断たれ今の生活を維持できなくなる。
彼らの生活や精神はひどく困窮してしまうのではないか?

物や繋がりなんてなくても、自分の思う本質的な生き方で生きていける。
そう考えていた心が、次に頼る物は?


セーフティネットも用意されていない生活。
面倒な物に手をかける事をしない彼ら。

物と繋がりを捨てていくのは、確かに気持ちを楽にしてくれるのかも知れない。


けれど何事においてもやり過ぎは、そのリスクを伴う。

自然に程ほどが、一番な気がしてならない。


ミニマリストの変わった生き方

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色々書いてきましたが、僕は思想自体に共感できる部分はたくさんあります。

実際モノが多い人より、少ない人の方が感じよく生きている気がします。

僕も、必要ないモノや関係は、自分から離していきたい。

だからもしかしたら、僕も実はミニマリストなのではないか、と感じる事もあります。

 

しかし何というか、良い所取り的な感じが否めないのです。


ミニマルという考えは『最小限』ではありません。
自分にとって満足できる『最低限』という意味です。

だから山奥で木を伐りながら小屋で静かに暮らす、というのは彼らにとって違うんです。

あくまでも自分の気持ち良い欲求に従った上で、その目的に効率的に辿り着く為の手段。

だから街に住み、ネットで情報を得て、好きな事を最大限にする。


世間のイメージ的にミニマリストに欲望は無い様な感じですが、実際にこういった欲求は強いです。


世の中は不況で、争いや災害が溢れる。生きていく希望を見失う。

信仰する物が何なのかわからないこんな時代だからこそ、何かにすがりたくなる。
生きる意味を探そうとする。

そんな中で振り回されて終わりたくない。答えを見つけたい。

だからせめてこの広い世界の中で『自分の人生だけは成功させたい』
周りの厄介事から距離を置いて『自分の価値観や好きな物で自由に暮らしたい』

そんな小さな欲望や願いが、彼らにはあると私は考えています。


僕も人生をより良くしたいと、日々思っています。

だけど


身軽になりたいと思った時に捨てて

何か欲しいと思うものがあれば、しっかり考えて手に入れる

自分の欲望を理解しながら、生きていきたい。

そんな風に考えています。

 

こんな事を書いている僕は、実はミニマリズムの本質をわかっていないのかも知れない。

そんな客観的視点を持つことこそ、人生にとって大切だと感じています。

だから自分の中でもう少し、ミニマリストの事をちゃんと知って、理解していきたい。

コメント

  1. tt より:

    物持ちすぎでも物少なすぎでも極端すぎるのは良くないんですよね。これはミニマリストや断捨離に限らずあらゆる物事に言えることで。バランスが大事なんですよね。

    • KUMAKUMA より:

      コメントありがとうございます。
      そう思います、極端はやっぱり本人の心理状況を表しているのかな、と。
      何事にも柔軟だったり、バランスが取れる人がいいですよね。

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