生活のダウンサイジングを試みる。
ここ数年ほどで一気に広まったミニマリストの様な考えを中心とした、いわゆる「シンプルに生きる」というライフスタイル。
僕もモノはなるべく所有せず、自分が本当に気に入ったモノだけ手にしている生活をしている。
そんな生活をしていた中で、今年に入り猛威をふるっているコロナショック。
健康被害と共に世の中で心配されているのが、生活の安定だ。
まだまだ失業者は増え、今後も多くの企業が倒産されると予想されている。
そんな不確定な世の中で、今後更に人々が人生や生活の見直しを余儀なくされている。
備えあれば憂いなし。
もう「自分は大丈夫」という正常性バイアスを持っているだけでは、毎日を安心して暮らすことはできない。
今回はそんなマイナスな出来事を、いかにプラスに転換できるか。
自分には何ができるか、考えてみた。
生活のダウンサイジング
具体的にダウンサイジングとは、モノのサイズを小さくすることだ。
つまり生活でいえば家を小さくしたりなど、出費を抑えたりするのが一例。
生活水準を落とすというイメージがあるかもしれない。
しかし、ただ落とすという事ではなく、重要なのは「見直す」という行為自体にある。
ダウンサイジングをすることで、普段の流れていく生活の中では気づけなかったムリやムラ、ムダを見直すことができる。この見直し行動するという行為こそに、意味がある。
生活の中身を見る事ができていない毎日は、忙しさや惰性でただ過ぎていき、つまるところ人生を削っている。無駄に浪費し、消耗している。
という事で僕の生活におけるダウンサイジングは、どのような事ができるか考えてみた。
どんな事がダウンサイズできる?
郊外へ引っ越す
とにかく一番初めに思いついたのがこれだ。
家賃は基本変えられない固定費であり、毎月必ず流れていく。
コロナショックでリモートワークが増えた今の時代、都心に住むメリットが無くなってきている。
自宅でも仕事ができる環境があれば、通勤が無くなる。駅や大きな街に出る必要性が無くなる。
家を選ぶ際、基本的には職場にアクセスしやすい場所という考えが生まれるのが当然だった。
しかしその職場に行かない場合、駅から近い場所に住まいを持つ必要性は無くなってくる。
コロナの流行が万が一落ち着いた後も、このリモート様式は更に加速するだろうし、ますます地価が下がることが予想される。
不況が続く、収入が減る、失業者が増える、土地が売れなくなる、物価は上がる。
これを危惧し、さらにお金の回りは悪くなる。
こうなってくると都心や駅チカ物件に住んでいる意味は、もはや無くなってくるのではないだろうか。
加えて今の都心部は、息苦しさを感じる。
皆がマスクをしながら互いを監視し、少しずつ消耗していく。
今の時代、何処にいてもAmazonで欲しいモノは大体手に入るし、郊外でも生活する分には何も不自由しない。野菜や生活品などの物価は安いし、生活しやすいのではないだろうか。
(実際僕は現在、スーパーより農産物直売所で新鮮で安い野菜を購入している事も多い)
いきなり田舎に移住なんて事はしたくないので、少しのんびりした土地で過ごしてみるという感じで徐々に生活スタイルを変えていく考えだ。
家賃を下げる
郊外へ引っ越し家賃を下げ、生活水準の見直しを計る。
現在の僕は、家賃11万ちょっとの賃貸マンションに居住している。
ハッキリ言って僕の収入からすれば勿体ない水準だ。
なおかつ今後の仕事を考え都心や街から離れる考えがある為、家賃は抑えようと思う。
具体的にぐっと低くし、3万円ダウン程度で考えている。
現在の住居はほぼ新築で隣にスーパーがあり、かなりキレイなマンションだった為、日々生活している中で一定の安心感はある。
しかしここ数年、試行錯誤しながら工夫して暮らすことこそ自分にあったスタイルという考えにたどり着こうとしている。
完成されたモノに安心するより、少しの不便や足りない物を感じながら、補って良さを自分で作っていく喜びを感じた生活がしてみたい。
つまり家賃が高い都心やターミナル駅ではなく、郊外に住もうと考えている。
スーパーが遠ければ自転車やバイクで行けばいいし、家に満足していなければ自分でDIY等していけばいい。
とにかく最大の固定費である家賃は下げよう。
モノを減らして、今より狭い部屋に住む
冒頭で少し触れたが、僕は自身が気に入っているモノは大切に持つという考えで生活している。
その為、決してモノが少ない生活ではない。
このブログでも紹介している様に、趣味の音楽や映画、そしてガジェットや生活雑貨に関するモノが多い。
現在は50㎡ほどの住まいだが、正直妻と二人で暮らすにあたり40㎡あたりでも住めると踏んでいる。
片付けは得意な方でモノの選別も難なくこなすが、更に吟味して自分の周りにあるモノを見直してみようと考える。
まずこの自粛期間で行動に至ったのが、テレビの存在。
去年あたりからテレビをほぼ見ない生活に自然となっていて、今回遂に無くしてみる判断に至った。
僕がテレビを見ない理由やメリットは以前書いた上の記事で紹介している。
大まかにいうと、無駄な時間を浪費するのではなく、自分がしたい時間を増やしたいという理由からだ。
そして部屋選びは基本的に、テレビの位置関係を中心にくつろぐ場所を考えるレイアウトになる。
これでは選択肢がかなり狭まるし、生活もテレビが中心の部屋構図になってしまう。
コロナによる非常事態宣言が出され、テレビを見る機会が増えるかと思ったが、結果全く増えなかった。という事実から、処分することを決めた。
メルカリで人に譲り、部屋の中と心がすっきりした。
テレビが無くなった現在のリビングは目の前に何もなくなり、趣味の映画を観る時だけスクリーンをセットしてプロジェクター生活を楽しんでいる。
引っ越した先では、もうテレビ中心のレイアウトでは無くなっているだろう。
かなり部屋の自由度は上がる。
色々モノを処分してスッキリしたいという考えはあるが、断捨離的に半ば半強制的にゴールに引っ張られる考えは好きではないので、引っ越すまでにゆっくりと見直していきたい。
現在の部屋を見てみると、もっと上手くまとめられたり、工夫して使いこなせそうな家具や収納が目に付く。
このローテーブルも、最近めっきり使う機会が無い。
一人暮らしから8年ほど使用しており、オイルメンテナンスも定期的に行っていたが、モノの価値は思い出ではない。これからどう使っていくかだ。
という事でこちらも現在、人に譲る予定。
この辺りを見直せば、10㎡のダウンサイジングは可能だと思われる。
そして少し狭い部屋でもDIY等をしつつ、ゆっくりと自分の部屋を育てていきたい。
駅から近い物件という条件を無くす
先ほども少し触れたが、リモートでの仕事が本格的になれば、駅チカ物件に住む意味は無くなる。
物件を探していていつも思うのだが、多くの人が徒歩15分という括りに縛られている気がしてならない。
もちろん仕事の為に駅に近い事は越したことはないが、多少遠くてもやっていけるのでないだろうか。
僕は小さいころ実家が駅から25分の場所に住んでいた。
歩いた時もあるし、バスや自転車を使っていた時もある。
大人になって駅から近い場所という考えが当たり前の様になっていたが、はっきり言って「歩ける」
歩いても良い、坂道があっても良い。
ここからは個人の価値観になる為なんとも言えないが、日々の徒歩距離を10分~15分歩くだけで家賃が1割程度落ちるのであれば、僕は遠い方を選ぶ。
通勤時間は無駄が多い。
電車の時間であれば近くても遠くても基本何も変わらない。(遠ければ時間を浪費するが)
しかし駅からの徒歩距離は、遠ければ遠いほど家賃を下げる。実質的にコストを減らせる。
日々の疲れや時間という価値との対価交換になるので、バランス判断や慎重な検討が必要だが、僕は駅から遠い物件を選んでコストをカットする選択をすると思う。
郊外に住み、尚且つ駅から離れても可という判断だ。
自然環境がある場所を優先する
ダウンサイジングと一見関係ないただの物件希望に見えるかもしれないが、大いに関係してくる。
街に近い場所に住んでいると、なんとなく休日は外出で街に出る。
特に物凄く求めてる何かがある訳ではないが、ブラブラ散歩しているのが楽しい時もある。
しかし、その多くが「何となく」という考えだ。
何となく街に出て、何となく欲しくもないモノを眺めて、何となく外食したりカフェに入って休憩する。まあ、何となく楽しい。
つまり何が言いたいかというと、明確な意思や目的を持って街に出かけていることが少ない、という事だ。
人やモノが集まる街には、何か楽しい事があるかもしれない。
そんな根拠のない期待を軽くもって出かけ、結果満足感の薄い出費に繋がる。
妻と二人で出かけ、外食しカフェに入りショッピングをした場合、1日でもかなりの出費になる。
個人的に街は楽しい時もあるが、何か目的がある場合に行くのが望ましいと思っている。
現在の居住地近くに、大きな森林公園がある。
そこを歩いたりお弁当や軽食を持って出かけるだけで、かなりリフレッシュできる。
鳥や川の音を聞いて、自然の美しい緑に心が落ち着く。
30代に入ったからかもしれないが、自分を大きく見せたり買い物に無理をする事が無くなった。
街の環境は溢れる広告に購買欲を刺激され、必要ないモノを買わされ、他人と比較される。
そんなどうでもいい考えや環境から離れて、今は自分なりの幸せや楽しみをようやく見つけられている。
自然は良い。心が洗われ、リフレッシュできる。
神奈川は少し足を延ばせば山も川も海もある。古都や風情ある小さな街もある。だから好きだ。
遠出するにも車は買わなくたってカーシェアで事足りるし、ある程度の所までは電車で充分だ。
自然が溢れる環境を住まいとして選択することが結果、精神的にも金銭的にも良いと僕は思っている。
街に行ってモノを買って多くを失うより、公園や自然で気持ちを充電したい。
ランチや好きなドリンク、軽食やアウトドアグッズを持って、出かけよう。
という感じで今思いつくだけのダウンサイジングを実施中で、今後も生活の中で要検討していきたい。今後もダウンサイジングについて感じたことや実施したことは、このブログで追記していく予定だ。
今回のダウンサイジングにあたり参考にした書籍
ダウンサイジングを行い、参考にした書籍をいくつか紹介する。
一つ目は「より少ない生き方」
モノを減らし身軽に生きることの良さを、読みやすい形で紹介している。
過程で誰でもできる様な内容を13章に渡り紹介しているので、今日からでも始めやすい内容なのが良かった。
特に「どうしても手放せない物と向き合う」という章が、僕にとって一番響き参考になった。
具体的にモノに縛られた考え方を解き、一つひとつ消化してくれるような内容が多く、気持ちが軽くなるような一冊だ。
二つ目は「スマートサイジング」
タイニーハウスに暮らす夫婦が実践する、丁寧でシンプルな暮らし。
自分の中のモノや家の対する価値観を動かしてくれ、今回のダウンサイジングにおいて理性的に参考になる内容が多かった。
夫婦の体験談が中心なので、よりリアルに生活を感じる事ができ参考になった。
内容で「?」と疑問符が多く出てきており、読み進める中でハッとさせられるような気付きも多かった。
スモールアクションと題し実践例なども章の終わりに記載されており、小さく暮らすという行動を起こしやすいのも読みやすかった。
最後がこちら「壊れた世界でグッドライフを探して」
ミズーリ、デトロイト、モンタナと3章に分け、それぞれ自分らしいの生き方を探す人々の暮らしを描いた作品。地産地消、コミュニティ、家づくり、商業主義との決別といった内容に触れ、モノを減らすというより、生活環境を大きく変える中での葛藤を描いた作品になっている。
自分たちの求める生活の良い面だけを描いていないのが特徴的で、社会構造のジレンマと対峙しながら登場人物が真実を求める姿が胸を打つ。
モノだけにフォーカスしておらず様々な社会問題と向き合う内容の為、不確かな今の時代だからこそ改めて響く内容が多かった。
生活水準を上げるのは簡単だが、下げるのはとても難しい。
それが意図したものでなく否応なしに下げるしかない状況であれば、より辛いものになる。
だから日々生活の点検をし、理性的に考えた状況下で自分から下げていく事で、結果満足した見直しが図る。
そんな生活の見直しは、きっと生活の質をあげてくれると僕は考えている。
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