続・オードリー若林正恭に憧れる~ナナメからの脱出『自分や大切な物を失う前に』

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こんにちは、kumaです。

 

以前にこんな記事を書きました。

www.housework-kuma.com

 

多くの人に読んでもらえて、やっぱり今の時代を生きる人には刺さる内容なのかなと感じました。

 

その記事中に紹介したオードリー・若林正恭さん著の1冊の本があります。

 

この本を読んで涙しました!
なんてタイトルを見るとナナメに冷笑しちゃう皆さんにこそ捧ぎたい。
『ナナメの夕暮れ』はきっとアナタの背中を押してくれる

 

・オードリーや若林正恭さんが好きな人
・自分に自身が無く、周りを気にしている人
・自分を変えたい人、価値観に何かプラスしたい人

 

こんな方は絶対に読んでいってください!

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『ナナメの夕暮れ』との出会い

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前回にも書いた様に、始まりはこの記事を目にした事でした。
若林正恭さんのインタビュー。


gendai.ismedia.jp


今までただのお笑い芸人としてメディアで目にしていた彼の姿とは違う、パーソナルな部分に惹かれました。

心に静かに響く物があり、自分の中で考え方が大きく変わりました。



本屋に行った際に、エッセイの売場に平積みにしてある本を見つけました。


『ナナメの夕暮れ』です。


「ああやっぱ人気芸人のエッセイは皆読むんだな…」



時間もあったので、内容が気になり椅子に座って少し読み始めました。








30分程すると、泣いている自分に気づきました。


自分が通りがかった人なら「本屋の椅子で読んで何泣いてんだこいつ」と冷たく見ていたと思います。


天井の高いガラス張りのカウンター。幸いにも布のシェードは降りていました。


両隣でエッセイや旅行本を読んでいた女性達に気づかれない様に、鼻をかんでごまかしました。

隣の様子がおかしい奴のせいで、せっかくの楽しい時間を壊してごめんなさい。


でも、そんな事は構ってられないくらいに
感情が溢れてしまいました。


私と同じ気持ちで悩んでいた人はいるんだ。
そしてこんなにも多くの人が共感しているんだ。



その前に、私の個人的な事を少し。

たくさんの事に怯えて生きてきた

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私は学生の頃から、悪いやつではないけど目立つ奴でも無くて、いてもいなくても変わらない感じの人間でした。

頭は悪かったけど辛い事は無かったです。周りの友達にも恵まれて、仲良く、楽しく過ごした学生生活でした。


高校生の頃のグループには
・映画監督が夢で人気者のやつ(本当に叶えた)
・バスケが好きで自信があってお調子者のやつ
・オタクでカラオケが上手くて人気もあるやつ
・ふざけるけど実はしっかりして信頼あるやつ
・馬鹿だけどみんなを笑顔にさせるやつ
・1番イジられて愛されてるやつ

こんな感じの楽しい奴らに囲まれて、過ごす事ができました。今でも何人かとは会ったり、連絡は取り合ってます。





で、肝心の私は。



優しくて害が無い当たり障りの無いやつ

と自分で思っていました。特別得意な事や自慢できる事も無く、薄いキャラクターです。


卒業してしてからはそんな自分から抜け出そうと色々な物を吸収しようとしました。


どんな服をきて
どんな風に振る舞って
どんな物を持って
どんな風に相手と接すれば


自分を好きになってくれるだろうか。
人から良く見えるのだろうか。必要とされるのか。

そんな事を考え始めたんだと思います。


もともと真面目なタイプです。
そんな思考になってからは真っ直ぐに小さく努力をして、理想の自分を積み上げていきました。


皆が褒めてくれたり、自分に対して興味を持って接してくれているのがわかり嬉しくなる。


勿論お世辞や社交辞令で言ってくれてるのはわかります。

でもそうやって何も無かった自分を脱して、認められる喜びを得る為にそういう『自分づくり』を繰り返していきます。


昔からの友達にも実際
「kumaが1番あの頃と変わったよな」と言われます。


他人にイイねをしてもらう為に、自分の行動や容姿や生活や人生が変わっていく。


これはもう自分の人生では無いですよね。他人の人生を生きているだけです。



 

他人の人生を生きて、人と比べる虚しさ

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3月11日、東日本大震災が起こりました。

文頭で紹介した記事にも書きましたが、価値観が180度反転しました。


正しい物を求めるあまり、人と自分を比べる様になりました。


自分が信じている物はきっと正しい
他人より良い自分でありたい


そこに残ったのは傲慢な人間性嫉妬の価値観でした。

それを人に見せない様に虚像の自分として生きているのだから、余計に苦しい。


純粋に楽しそうに生きて、何かに夢中で取り組んでいる人
心から真っ直ぐに物事を見つめている人


こういった輝いている人は、人生の価値観や人間関係が複雑になり過ぎた今の時代において本当に貴重です。

誰かに良い影響を与えられるこんな人が増えれば少しずつ良い世の中になると思います。 


だけど昔の私はそういった物を持っている人を見た時に、眩しすぎて心の中で避けてしまっていました。

自分が今まで重ね塗ってきたハリボテが、心の中で剥がれるのが苦しいから。



長い間、私の隣に居てくれた妻は全てお見通しでした。

「kumaはきっとその人たちに嫉妬して羨ましがっているんだよ」


そうです。その通りです。
物事を斜に構えて自分を守って、小さな世界を正当化して生きていく。


つまらない人生ですよね。


もっと大きな可能性や体験が溢れている筈の未来を、自分の手で塞いでいるんですから。



そこで死んだら?



それだけやって終わりです。
意識が無くなる時に後悔します。


「ああ、つまらない人生だったな」


 

『自分』を隠してきたもの

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話を戻しますね。

この本を読んで彼の紡ぐ言葉や考え方、経験してきたものに全て共感しました。


彼は小さい頃から周りが『普通』と思ってやっている事が理解できず苦しみました。
充実した生き方をしている人たちと、距離を置いていました。


何故周りに合わせなくてはいけないんだろう

自分だけが周りの価値観を理解できず、辛いのは何故なんだろう。


自分の小さな価値観や経験値、劣等感の中で、必死に生きる術を探していたんです。

周りに何を言われても、心の奥底には微かな信念と思考を持って。
少しずつ学んでいって、強くなっていって。

いつからブーメランを投げ始めたのだろうか。
高校の文化祭のステージ上で、おちゃらけるクラスの人気者をベランダからナナメに見ていた。内輪ウケで満足している、レベルの低い奴らだと。
ステージ上で爆笑をかっさらうクラスの人気者を「みっともない」と価値下げして、臆病でステージに立てない自分を肯定しようと画策したのである。
そういう思考は確かに自己防衛になるかもしれないが、同時に自分が文化祭のステージに立つ機会も奪ってしまう。

若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

常に何かに夢中になっている人が羨ましかった。それは確実に自分には無いと痛いほどわかっている物だから。

だから俯瞰したつもりで自分を正当化する。周りと線を引いていく。

なんでも゙みっともない゙と片付けて、自分は参加しなかった。
そうやって他人がはしゃいでいる姿をバカにしていると、自分が我を忘れてはしゃぐことも恥ずかしくてできなくなってしまう。

若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

そうしていつか気づくんです。自分が何かやりたいと思った時には既に、何もできない心の弱さが身についてしまっている。
そうしてまた憧れを遠ざけていく。遠ざかっていく。

価値下げによる自己防衛は楽だから癖になる。
ハロウィンの仮装、バーベキュー、海外旅行など、それらをSNSでコソコソと価値下げ攻撃をしていれば、反撃を食らうこともないし自分がそういうムーブメントに流されない高尚な人間のような気分も味わえる。

若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

そんな自分には正解が無いから、そこに参加しても良いのかどうかもわからない。他人に碌な助言や影響も与えられない。
自分とは関係ない世界と割り切って、ただただ毎日を過ごしていく。意思もなく、思い出もなく。

遊んでいても、仕事をしていても、他人のジャッジの目線が気になって、生きていること自体があまり楽しくなくなる。

朝起きた時には「また今日も他人にジャッジされる1日が始まる」と思ってしまうからだ
(ひどい場合は「また今日も他人に否定されるだけの1日が始まる」と思ってしまう。20代の僕はそうだった。)

そうなってしまうと、なんとか自分を肯定しようとして、他人や物事に対しての価値観下げをさらに加速させてしまう。
若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

何もかもが他人から見えた自分を意識して行動する。行動は習慣になり、自己を形成する性格になっていく。

人と会う、家で過ごす、仕事をする、独りで過ごす。

作ってきた自分、自分らしい自分を演じてそれが人生になっていく。

そんな『自分』の底にあった思い

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他人の正解に置きに行くと、例えばその場に人数が多い時に、どの人の正解に置きに行っていいかわからなくなり、キョロキョロおどおどすることになる。
だから、僕は人数の多い飲み会が苦手なのだ。
キョロキョロおどおどしている人は自分の意見を持って溌溂としている人に徹底的に無視されて、イライラしているけど強気な人にカモられてスポイルされる。すると、大勢の人がいる場を避けるようになる。

若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

個人で仲の良い相手と会うのは好きだった。話が合う友人、気の知れた相手。

だけど大勢の人がいる集まりは大嫌いだった。

いかにその場を良い場所や時間にしようか、有意義な空間にしようか考えて発言や行動をする。
本当に真に皆がそれを考え抜いている集合体ならもの凄く意味があるコミュニティと時間だ。

『皆の為』にという立派な大義名分が作り上げる空気のもとに、自分を守る為の根回し耳打ちポジショントークを繰り広げ、瞬間的にヒエラルキーが構築される。

自分のパワーを吸い取られない為に、残しておくために、砂漠にうっすら見えるピラミッド探しに必死になる。

「空気を読め」という意味の分からない発言、空気は果たして守るべき物なのだろうか?
そんな人間の言う事なんて信用できない。

何かを皆で作り上げたり誰かの喜びになるからそこに価値が生まれる訳で、その『行為』自体は価値ではない。
だからそんな価値の無い空気を読む行為には意味が無いと思っている。

これの気持ちは今でも変わっていない。

多様化された世の中では自分の中の正解に自信が持てなくなる。なんとなく正しいことを言ってそうな、有名人のコメント、Twitterのアカウント。
誰かの正論に飛びついて楽をする。自分の中の正解と誰かの正論は根本的に質が違う。

もちろん、人の意見などきかないという極端な話ではないし、自分の意見を臆せず吐き出そうという単純な話でもない。
自分の意見は殺さなくてもいいということだ。
若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

こんな自分でもやはり人間性全てが奪われている訳ではない。

他人の意見や視線を拾い過ごしている毎日に疲れているもう一人の自分だっている。

そんな自分はいつも追い詰められた際の武器を持っている。私は自分から人を面と向かって攻撃はしない。

だけど自分が攻撃された時は迷わず、薄っぺらい自分なりに構築してきた知識や意思や思いを相手に全力でぶつける準備はできていた。
自分を捨てたわけじゃない。

「欲望が無いと人間は向上しない?なぜ、一流のものを手に入れることだけを欲望と思うのだろうか。
安くてそこそこいいものに囲まれながら、平凡な家庭を築き、気の合う仲間とだけ楽しみ続ける人生を目指すことは欲望ではないのだろうか?
それを実現し続けることはとてつもない奇跡だし、難しいことだ。」

若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

本当にこれに共感した。人はそれぞれ価値観が違って、それぞれに望むものがあるはず。

なのに多くを手に入れている気になっている人は、勘違いをする。その価値観を他人へ押し付ける。

平凡な何かを続けるというのはもの凄い大きな事だ。

争いが起きると皆、悲しみに満ちた怒りを感情としてを表現する。
だけれど平和は人に伝わりにくく、いつしかその恩恵や大切さを忘れていく。

大抵の人は日常でたまに「ああ平和だな」とつぶやくくらいで、毎日その有難みに感動する場面や人は恐らくごく僅かだ。

誰も気づかないことを意識して続けることは、こんなにも難しい事なのに。

「なぜ相談されてもいないのに「野心や欲望が無いとダメ」と他人に言いたくなってしまう人がいるのだろうか」
自分の生き方に自信が有り過ぎるのだろうか?それとも、無さ過ぎるのであろうか?

若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

自分が手に入れてきたものにすがっているから。
それが自分を表すものになっていて、陶酔しているだけ。

他人を『認める』ことができない人間の自分語りなんて、人の心に響く筈がない。



彼の感情が痛いほどわかります。いや、痛い。
今まで自分が言えなかった、隠してきた気持ちを全て代弁してくれている様な本でした。


私も自分では気づいていました。
人の目を気にしている中身の無い人間だって事が。でもやめられなかった。
そうしていた方が楽だから。


皆がかけてくれた言葉を否定できなかった辛さ
自分を守るために少しずつ嘘をついて、上から中身の無い自分を塗り固めてきた後悔。


本当は小さくて弱い自分を告白できない辛さ
他人と自分を比べ自分を保つ弱さ愚かさ



周りの人が私に掛けてきたたくさんの言葉が頭に入ってきます。

「違う」という言葉が頭の中に滝の様に流れて溢れました。何度も何度も。

それは自分じゃない。そんなんじゃない。





涙は気付いたら流れていました。
なんとか瞼の中で止めようと思いましたが、ダメでした。




本は中古で買って売るというサイクルを繰り返していた私。
新しい物は本当に必要や好きと感じる物しか所持していませんでした。

だけどもすぐに私の足はレジのもとへ。

中古では利益や支持はその人に伝わらない。
自分の心の中を勇気を出して世の中に見せ、多くの人を勇気づけたこの作品を書いてくれた人に伝えたかった。


『私はあなたを支持します』と。


私は小銭入れからお金を出すのに手間取り、お釣りとレシートはポケットに無造作に入れてレジを後にする。
後ろの男性はスターバックスのグランデカップを片手に、スマートにICカードで支払っていく。



若林さんはスタバでグランデ、頼めるようになったかな。


自分を変える物は自分で探す

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彼は父親を亡くされた時に、物事の価値観や生き方が大きく変わったと書いています。

そして、親父が死んでからは本格的に冷笑・揶揄は卒業しなければならないと思い始めた。
死の間際、病室で親父が「ありがとな」と言いながら痩せこけた手で母親と握手している姿を見たからだ。
その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きた方が良いということを全身で理解できた。

若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用

自分のつまらない自意識を守っている間に、大事な人や時間を失っていきます。
それはもう取り返しのつかない物で、後悔なんてしきれないくらい大きな存在。


人間は当たり前にある物の存在が無くなった時に大きく変わります。
変わろうとします。

私の人生には、幸いまだこんな辛い経験はありません。

だけど自分の小さな世界を必死に守ろうとするより、周りの大切な物の為に生きていく事の素晴らしさを感じました。


内(自意識)を守るために、誰かが楽しんでいる姿や挑戦している姿を冷笑していたらあっという間に時間は過ぎる。
だから、僕の10代と20代はそのほとんどが後悔で埋め尽くされている。

若林正恭著 ナナメの夕暮れより引用


あの時こうしていればと気付いて絶望する前に、自分が本当の意味で人に良い影響を与えられる様に生きていく事を、私も若林さんから教わりました。


もし自分に迷っている人がいたら
自分の価値観や生き方を一度フラットにして考え直すのは逃げる事じゃない。否定する事でもない。

それは自分と向き合うことです。


 

あなたの信じる物は何?

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日本は戦後にアメリカから恩恵を受け、同時に多くの事を押し付けられています。


日本は敗戦国です。立派な先人たちが自分と愛する人を守るため立派に戦ってくれました。
敗戦という結果は消えることなく、それにつけ込んだ印象操作、文化、人間性が現代の日本を作っています。


すぐに謝る、自分に自信がない、正しい事を正しいと言えない、世の中に広がる空気。


こんな世の中で私たちは生きています。


勿論、素晴らしい面だってたくさんあります。
日本を立て直しここまで大きな国にしてくれた世代の方々には感謝をしています。



だけど、時代は変わっているんです。

汗をかいてがむしゃらに働いて、ビルや建物をどんどん立てて、良いものを買って


そんな毎日を過ごして『正しい』と思われる事を教えられて、刷り込まれて。


そうやって生きていたけど、実際はそこに何もないのではないかと気づいた。

いや、もう否定できないんです。それは自分と、自分の生き方を否定する事になるから。



自分が信じる物は何?
夢、国家、仕事、両親、神様、



答えが無いから皆焦って探すんです。
だけど結局見つからなくて、自分を守る為に人と争う。自分を正しく見せる。


他人やメディアや国から聞いた情報、価値観、文化、教育、生き方。


私たちはその中で生きようと毎日必死です。


だから自分で知って、関って、考えていく。

その上で、自分が良いと感じる物を広めて次の世代へ引き継いでいくことが必要と感じています。


自分に正しい知識を取り込む。
どこかから借りてきた言葉ではなく、自分の言葉で相手と対話する。
自分を大きく見せない、自分の為に嘘をつかない。


仕事、日常生活、SNS、対人関係。
様々な所で誇れる自分でいる為に、私も少しずつ歩きはじめました。


ブログを何気なく始めた
ナナメの夕暮れを読んだ


このタイミングが偶然にも重なりました。
人生が一瞬でこの時から変わったなんて思っていないけど。


景色は全く別のモノに変わりました。


こんなきっかけを与えてくれた若林さんに感謝。
本当に感謝。


そして私も同じように、小さくてもいい。
誰かに良い影響を与えられる様に。


私は強くなれました。


今なら真っ直ぐな気持ちで太陽に向かって歩けます。


今度なにかに迷った時は、ナナメの夕暮れを開くのではなく。


自分の胸に尋ねてみたいと思います。

きっと、応えてくれる。

 

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