Mr.Children『SENSE 第二部』虚像を乗り越えた感覚の世界

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こんにちは、kumaです。

 

前回はSENSEについての考察とPOP再検証について触れました。

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今日は第二部として、アルバム収録曲の考察を深めていきたいと思います。

 

『Mr.ChildrenのPOPミュージックへの挑戦
虚像を乗り越えた感覚の世界 SENSE編 第二部』

 

この記事を読み終わったあなたは、もう一度新たな気持ちで『SENSE』を聴きたくなるはずです!

 

『SENSE』
01. I
02. 擬態
03. HOWL
04. I’m talking about Lovin’
05. 365日
06. ロックンロールは生きている
07. ロザリータ
08. 蒼
09. fanfare
10. ハル
11. Prelude
12. Forever

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虚像が放つ光

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桜井さんはアルバムに自信をつける事ができる楽曲を求めていました。
そして出来上がったのが『I』『擬態』『ロックンロールは生きている』この3曲です。

『I』

不穏なマイナーコードのギターに引っ張られる様なイントロで始まるこの楽曲。

歌の主人公はふさぎ込んでおり、自らの状況を悲痛に訴えています。
そして他人や環境に対し、苦しみの理由を探そうとします。

こんな風に日々は続いていくのでしょう
処方された薬にすがりつく『I』
「誰も悪くないの」とか言い出すんでしょう⁉
自分を責めるふりして許しを請え Ah

その様子はまさに自己愛の塊。そう彼は愛されたいんです。

他人からの助言や優しさを擬態ではサプリメントと喩えていますが、この曲では薬と表しています。
一般的にサプリは不足している栄養を補う物で、薬は症状を止める物。
精神状態がよく表れていますね。

深海で虚構に落ちた桜井さんが抱えていたジレンマと負の感情で溢れかえっています。

 

散々 周りを振り回して
結局 何をしたいんだか自分にもさっぱり分からないんだ

主人公は自分の本当の欲求を探しています。
だけどそれがわからず苦しんでいる。

こんな風に日々は続いていくのでしょう
奪いも捨てもせず 命を燃やそうか
自分が一番可愛い? ほら当たってるでしょう⁉
でもそれを責めたり 誰ができるの?

望んでいた物とは異なった世界。(自我の開放が結果的に虚構を生み出した)

日々に希望を見出せず、自分を守りたいが為に何もできない歯がゆさが伝わってきます。

深海での彼は常にこの精神状態であり、活動を休止していきます。


アルバム1曲目にこの内省的な曲を選び、次の擬態へ繋げるという曲順。
Mr.Childrenのアルバムでここまで心の内に入った暗い楽曲が頭という構図は珍しいです。

これは自身の心の内の物語で、そこから希望へ向かって行くという意思の表れというイメージを印象づける為かなと考えます。

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『擬態』

そんな中聴こえてくる、希望が近づいてくる様なイントロ。

この曲はこれまでのMr.Childrenという虚構を演じてきた苦しみ。
そしてマイナスとプラスを受け入れる事で強くなりたいという願いが込められています。

ビハインドから始まった 今日も同じスコアに終わった
ディスカウントして山のように 積まれてく夢の遺灰だ

日常はそう夢みたく急に変わるものではない。常にいいこと「49」嫌なこと「51」の比率。

夢の遺灰は虚構の自らが産み落としてきた作品たちか、消費される現代に溢れる価値の無い音楽か。

アスファルトを飛び跳ねる トビウオに擬態して
血を流し それでも遠く伸びて
必然を 偶然を すべて自分のもんにできるなら
現在を超えて行けるのに。。。

聴き手の希望や絶望をトビウオという虚像(Mr.Children)で引き受ける。
その辛さに虚しさを感じても、皆の虚像(希望)であり続ける。

全てを肯定し、自分を超えていきたいという気持ちが表れています。

 

ムキになって洗った手に こびりついている真っ赤な血
いつか殺めた自分にうなされ目覚める

優しい歌で自らの音楽と対峙し始めた時は、鏡の中の男に復讐をする事しか考えられなかった。

負の自分を認める事ができなかった。

富を得た者はそうでない者より 満たされてるって思ってるの⁉
障害を持つ者はそうでない者より 不自由だって誰が気めんの⁉
目じゃないとこ 耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ
見落としてしまう 何かに擬態したものばかり

価値観は一つでない。一人ひとりに考えや正解がある。
常識や正しいとされている事は、『誰かや何かに決められている事』。

自分の感覚を使って考え感じる事をしなければ、大切な何かを失ってしまう。


この歌詞の下りは『SENSE』できっと一番彼が伝えたかった事であり、重要なメッセージ。

二項対立の中の真実を、長くに渡って歌ってきた彼らだから響く言葉です。



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見える物のヒントとして与えられている、ジャケットのクジラ。
大きな生命力と海上に飛び出す爆発力。

『深海からの脱出』として、アルバム全体に溢れているプラスのエネルギーです。

マイナスやプラスの中の可能性を感じ取る感覚を持つ。それを信じる力。
これは青とピンクのアートワークに表されています。


この曲でギターを弾く田原さん。
桜井さんの歌に寄り添うように弾いているフレーズが好きです。
まるで田原さんも歌っている様な演奏を聴かせてくれます。

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『ロックンロールは生きている』

この曲はアルバム全体を表すパワーで溢れています。

イマジネーションも膨らまないくらいに あまりに日常は窮屈すぎて
よだれたらして甘い飴の前で おあずけくらったまま放置されて
サディスティックなプレイだとしたって もう悦楽(たの)しめないくらいにただ鞭打たれて

文化や情報、人間関係は想像力を働かせる必要が無いくらいに記号的。
日常で虚像(メディアや産業)が無責任に流す、叶う事のない夢や希望。

そんな事をわかりきっていて、飼い慣らされている。そこには心からの喜びは無い。

削り取られて 切り捨てられて 安売りされたあげく価値落として
首を傾げて 異議を唱えてもこれが現実と押さえ込まれた
天国と地獄しかない時代で 地団駄踏んで縮かんだ手をねじ込んだ
ポケットの中握りこぶし 今日も痛み隠し

自分の意思や希望は意味を無くし、白黒しかつけられない空気の中で現実を生きる。
けれどまだ心の中に秘めている。痛みに耐えてきた力を。

レボリューション さぁ次の世界へ いまナチュラルハイで闇を蹴っ飛ばせ
イミテーションに惑わされないで その目を見開いて さぁ手を伸ばせ

自分の中でロック(強い意思)は死んでいない。
全てを受け入れた自分で、次の世界への扉を開く。

イミテーション(まがい物)の中にある真実を見出し、闇の中から光へ手を伸ばそう。
(感覚を研ぎ澄まし、マイナスからプラスへ進む力)

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この3曲だけでも、これまでMr.Childrenが歌ってきた事が多く詰まっています

希望へ進む列車に乗って

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『Prelude』

虚像を見せてきた自分たちを振り返り、新しい自分を見つけに行こうという総括の曲。

『Prelude』には、希望と前へ進む力強さが表れています。
そして進むのは自分だけではありません。

過去の自分、そして自分を信じ認めてくれた聴き手を乗せ列車は走り出します。


この曲の歌詞には既存曲の歌詞のワードであったり、Mr.Childrenが歌ってきたイメージが多く散りばめられています。
これを探すだけでも楽しいですよね。

明日はどこに行こう?
ねえ my friend. where do we go?
七色の光を放ってた夢が
しぼんじゃったとしても顔をあげな

自分と聴き手に対し、次の行先を問いかけています。

虹は彼らの歌で度々登場する憧れや希望の比喩です。
振り返らず前へ進む気持ちはfanfareにも随所に表れますね。自分を探す主人公の希望の意思です。

前奏曲(プレリュード)が聞こえてくる さぁ 耳を澄ましてごらん
停留所で僕は待ってる 君も一緒にのらないか?

Mr.Childrenが今まで歌ってきた曲は、前奏曲だったんだと言っています。
その曲を引き連れて、向こう側へいかないか?(新しい歌を唄う)といっています。

今までの自分の存在を認めている気持ちが表れています。


後述の歌詞にも出てきますが飛び乗るのは列車です。
なのになぜ停留所なのでしょうか?

これにはPOP再検証の中に一つのヒントが隠されています。

『シフクノオト』以降のアルバムには毎回歌詞の中にバスが登場します。
以前の記事でそこに軽く触れています。

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その時の主人公や歌い手の心情を表す物の比喩として、バスは乗り継がれてきました。

天頂バスはPOP再検証への厳しさと決意を表した曲でしたね。


桜井さんにとってバスは、自我の中のひとつのメタファーとして歌詞に表れた存在だからだと考えます。言わば無意識の産物ですね。

自身の総括をした『Prelude』以降、バスは歌詞に一度も登場していません。

だからこの曲で振り返り、最後に降りたのが『SENSE』という駅だったのでしょう。

『Prelude』にはこれまで寄り添ってくれた聴き手に対する、感謝と愛情が随所に感じられます。


因みにこの後に、独立という大きなステップを踏んだ『REFLECTION』の1曲目の歌詞には

各駅停車をジェットコースターにトランスフォームして[不可能]のない旅へ

という歌詞が登場し、変化するという力強い意志を表しています。桜井さん乗り物が好きな様ですね。


夢幻(まぼろし)を振りまいて 今その列車は走り出す
汽笛を轟かせて 躯体を震わせて 光の射す方へ
悩んでたことなんて 今はとりあえず棚の上へ
要らないぜ 荷物なんて 何も持たないで飛び乗れ!

夢幻(虚像が歌ってきた唄)を振りまき、動き出す。
汽笛(音楽)を鳴らし、躯体(死んだ体=過去の曲)と共に光へ。


英雄(HERO)になれると勘違いをし、ニセモノ(フェイク)を掴み浮き沈みしてきた。

そんな中で虚像が歌う夢や希望なんて、なにより自分自身が信じられない。

けれどそんな自分を認めなければ、誰にも希望を与えることなんてできない。

信じる事から全ては始まり、それは今でも何処かで私とあなたが来るのを待っている。

長いこと続いてた自分探しの旅も この辺で終わりにしようか
明日こそ 誰かに必要とされる 自分を見つけたい

長い間、希望の虚像(他者に期待されるMr.Childrenらしさ)を探して旅を続けてきた。

その旅路で見つけた(再確認できた)のは、あなた(聴き手)に必要とされる自分。


Mr.Childrenの終わりなき旅、POP再検証はここで答えに辿り着きます。


これは私たち(Mr.Children)の人生を、あなたと振り返ってほしい。
そして共に歩き出してほしいという希望の唄です。

Mr.ChildrenがこのPOP再検証で見つけた一つの答えと、これからがこの曲に詰まっています。

『Forever』

アルバムの最後を静かに締めくくるこの楽曲。

この数年、彼らは聴き手の為の音楽を探してきました。
歌い手の対象であるあなたへの愛情と素直な気持ちを歌い、このアルバムは幕を閉じます。

Forever
そんな甘いフレーズに少し酔ってたんだよ
もういいや もういいや
付け足しても 取り消すといっても
もう受け付けないなら

虚像が歌う『永遠』なんて使い古され、ありふれた言葉。
今更そんな言葉を説明したり、後悔するつもりもない。

過去は変えられる物ではないから。

 

ともすれば ともすれば
人は自分をどうにだって変えていけんだよ
そういえば そういえば
「君の好きな僕」を演じるのは
もう 演技じゃないから

人はきっかけや思いで変わる事だってできる。

あなた(聴き手)が好きな僕(虚像=Mr.Children)を演じるのは、今はもう演技では無い。

昔は虚像を演じきっていた、自分を作り上げる為に。
けれど今は心から、あなたが望む希望の為に歌を唄っていきたい。そう思える。

どうすれば どうすれば
君のいない風景を当たり前と思えんだろう

もう自分はあなたの存在無しには、自分を表すことができない。

Mr.Childrenと聴き手という存在は切り離せない=同化した物になった。

常に求められる存在(虚像)である事が、時には苦しい事だってある。
(擬態で歌われる、全ての感情を自分の物にして強くなりたいという気持ち)



このフレーズの後に時計の音と、多くの人の歓声が流れます。
過ごしてきた時間と、寄り添ってくれた聴き手の存在を改めて感じる主人公。

Forever

そんな甘いフレーズをまだ信じていたいんだよ
そう言えば 今思えば
僕らの周りにいくつもの愛があったよ

Forever

ありふれた言葉や歌だとしても、そんな夢を信じてまだ歌っていきたい。

そんな歌を支えてくれたあなたちがいたから、私はこれからも歌っていける。
そこに確かに存在した、愛を信じて。

それぞれの中にあるSENSE

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ジャケットやアートワーク、宣伝の少なさから分かりづらい印象を持たれがちな『SENSE』

しかしその中身は今までのMr.Childrenを総括したものです。

虚構として聴き手への歌をこれからも歌い続けるという決意と、前向きな力に満ち溢れた何ともMr.Childrenらしいアルバムなんです。

『Q』の実験性や自由度、『I LOVE U』の肉体的な音像と衝動を持ち合わせた力。

そして自分たちの音に純粋ながらも汎用なポップスとして聴き手を意識し、昇華させられる術を身に着けている彼らの、言わば職人技とも言える良さが詰まった1枚に仕上がっています。

最近よく思うのは星座を作ってるなって。たとえばカニ座を描こうとする…それはどういうことかっていうと、カニの形に、星を見てる人が感じてくれればいいじゃないですか。
そういう星座に見えるように星を置いていく作業がレコーディングしてる作業だと思う。
リスナーはそうやって置かれた星を、なんかカニっぽいっていうか、私なりの感情移入で好きなカニの絵を作ってくれればよくて。

MUSICA 2008年1月号 桜井和寿インタビューより


そして歌詞も自身の総括的な内容でありながらも『過去を振り返り前へ進む気持ち』『物事の二面性を理解し力に変える様』という、生きていれば誰もが人生で考える物になっています。

比喩表現が多いため、結局誰しもが自分に重ね合わせ共感できる様になっている『いつものMr.Children』なんです。


本人たちが多くを語らないからこそ余白ができ、聴き手の想像力に委ねられる。

聴きやすい『HOME』や『SUPERMARKET FANTASY』からファンになった人が聴いても、勿論良い作品の一つにはなると思います

しかしこの作品はやはりMr.Childrenと長い時間を過ごしてきた人こそ、考察の余地や重ねられる思いが深い作品だと思います。

彼らのPOP再検証が『自分たちの音楽の歴史を総括しつつ、更に前進する』という能動的な形で終わりを告げた事に意味があります。


自分探しの終わりを迎えても、まだまだ音楽に対して憧れや揺ぎ無い強い気持ちを持ち現在も活動を続ける彼ら。

今も彼らの音楽を聴け、私たちに希望を与えてくれるその様には、本当に感謝しかありません。

彼らの新しい終わりなき旅は、今でも続いています。


ここでお話しした解釈は、私がMr.Childrenと過ごした時間の中で見つけた一つの答え。

あなたの中の『SENSE』はどんな音を鳴らしていますか?

読んでいただきありがとうございました。

次回で三部作の最後となります。
『SENSE 終わりと始まり編』でお会いしましょう!

 

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