Search of the Good Life

家事と趣味に生きる30代男性。そんなkumaが考え、綴る日常。

何処に行っても同じビル、同じ店。そんな街にするなら開発しなくて良いよ。

こんにちは、kumaです。


皆さん、好きな街並みを思い浮かべてください。






どうですか?


それぞれ好きな店や場所、思い出があると思います。



だけど最近、この街並みが何処も同じになっていませんか?





今回は自分の好きな街について考えてみた話です。



自分だけの街

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誰にでも好きな街が一つはあると思います。


海の近くの街
飲食店が多い街
公園や自然に溢れた街

それぞれの特徴があり
自分だけのお気に入りの風景や思い出があります。



電車を降り、駅から出ると広がる風景
丸い時計が特徴的な駅舎


駅前の広場に人が集まる
角を曲がると人気のお気に入りレストラン
奥の細い路地を入ると誰にも教えたくないカフェ

並木道があったり、坂道や海の見える風景
線路沿いの雑貨屋、猫がいる駐輪場
夜遅くに寄りたくなるラーメン屋


そこには個性があります。
それは最初からあった物なのか
自分の思い出や印象が投影された物なのか。


自分の生活を共にする街。
それぞれ違うから、楽しく
今日は何処の街へ行こうと考える。

変わった街

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仕事の都合で、5年ぶりに地方から地元へ戻ってきました。
やはり5年も違う場所で過ごすと、育った街も新鮮に映ります。
どことなくお邪魔している様な感覚に。


何ヶ月か経ち慣れてきましたが、まだ何か残る違和感が。


街並みの変化についてでした。



商業ビルがどこもかしこも次々と建てられ、駅前にはオープンテラスの飲食店。
スイーツを撮る大学生と、自撮り棒を振り回す海外の観光客。いんすたぐらまー
それに迎合する飲食店、観光地。

自然との共生をテーマにした高層ビル。
どこの主要駅で降りても目にする外資系のショップやカフェ。
同じロゴと雰囲気。


箱型のビルに皆入っていき、周りから美味しい楽しいと聞いた物を楽しむ。


東京オリンピックに向け次々と新しいビルや店舗が建設され、お金を生み出そうと必死です。


商業施設も店舗も独自性を出して、地域に根付いた、運営やサービスを展開しているのでしょうが

どれも同じに見えます。


そう振り返ってみると、移り住んでいた地方都市も変わりはありませんでした。





何故同じ様な街並になるのか

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個性が無い街になる原因として
市場原理に振り回される街づくりがあるからです。


都市を開発する際に最重要視されるのは
街の魅力発信ではなく、足を運びたくなる特性でもなく

お金になるかどうかです。


自然との共生とか、地域に根付いた街づくりとか
どんなに綺麗事を並べても、これが一番の重要ポイントであり最重要目的です。


街に人を集めたいと考える時に活かすのは
商業的に成功できるかできないかです。

お金が落ちる仕組みを作れば、都市が活性化され、良い街が作られるという概念から抜け出せないのです。


人を呼ぶよりも前に、商業者を呼び込む所から全てが始まります。
商業者を呼ぶ事が中心市街地の活性化になるという考えです。


そうやってお金になる確証がある店が並びます。その店を入れようとビルが建ちます。

住む人や訪れる人たち。観光をする人たちの事は二の次です。


声高らかに観光大国とか言ってますが
呼ぶだけ呼んどいて「オーバーツーリズム」とは笑ってしまいます。
お金目当てで行動している結果が対応できませんとは。
おもてなしの国ではなかったのでしょうか。



街の均質化が生む物

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どこへ行っても同じ様な街ばかりです。
「私達の街はこういう街です」
こんな風に、その特色を子供や次の世代にを話すこともできません。
こんな街に生まれて、観光をして楽しいと思ってもらえるでしょうか?


その土地特有の建物や文化は消え、何も新鮮さが無い街。
皆同じ様に行動し、得られる物も差がない。


食べ物の味も同じ
見える景色も変わらない
何処へ行っても同じ物が購入できる


そんな街に出掛けたり旅行をしても、何も得るものなんてありません。


私達日本人は資本主義の暮らしの最先端を走っています。良い意味でも悪い意味でも。


万能である事や利便性の追求が「生活の豊かさ」であるならば
そこから逸れる道を皆で考えるべきではないでしょうか?


私の好きな街、レイキャヴィークと日本の違い

ここで一つ、私の好きな海外の街。レイキャヴィークの話を。
レイキャヴィークとはアイスランドの首都です。

レイキャヴィーク市の人口はおよそ12万人。
アイスランドの全人口のうち2/3が市に居住しています。
面積は274.5km2 神奈川県のおよそ1/10程度です。


ここに訪れ感じた事があります

街の景観を大切にしている

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街を歩いていても大きな商業ビルはありません。というか街に巨大なビルが無い。

飲食店や美術館、雑貨屋は通りの様々な場所にあります。
街が良い意味で、過度な開発をされていません。

昔からある生活や文化、商業がそのまま自然な流れで
成熟した理性的な街づくりがされていったからです。
必要な分だけ物を買って、食べたい時に店へ入る。

お金を無理やり使うように促す広告も数える程。
開発をしても広告をうってもペイされる見込みが無いからです。

人が求めているのは購買ではなく
街並みを楽しみ、人と楽しく食事をし
その街にいる事を楽しむ

これだけです。


街にお金を投じ施設を作り、人を呼び込むのではなく
街の在るべき魅力を感じ、人が街に行きたいと自ら足を運ぶのです。


休日は混み合う商業施設に行ってとりあえず過ごす。
行ったから何か買う、疲れて帰る。

そんな過ごし方の概念がありません。

恐らくレイキャヴィークの人たちはこう言うと思います。

「それって何のために自分の時間を過ごしているの?」




私達に何ができる?

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同じ様に並ぶ高層の箱の中に入って、皆が過ごす事を当たり前と考えたくありません。

その土地にある温かさや匂い。
建物の質感や文化を改めて考えて
次の世代や他国の方々に伝えていくべきだと思います。


そして何より自分自身が過ごしていて楽しい
ここに住んでいて良かったと思える様な街の景色を共有できる様な世の中であれば。


私達の心はもっと豊かになれるのではないでしょうか。



現代はテクノロジーが発達しています。
コミュニティの情報交換やワークショップ。
地域活性化の取り組みなど、多くの土地で取り組まれている試みがあります。


街の行事や仕事、人々と文化を繋ぐ物。


それら一つ一つの点が線となる様に

自分の好きな街がどんな物だったか
今一度、私達にできる事を日々考えていきたいですね。