クマログ

Mr.Children、音楽、映画、家事、ライフハック、考え事について、森から熊が発信するメディア。

父の言葉、大人になること。

外で雷が鳴っている。

少し蒸し暑いこの時期が来ると、あの湿った空気の畳部屋を思い出す。


父に呼ばれて入った畳の部屋。今でも覚えている。




僕の両親は離婚した。もう15年くらい経つだろうか。



両親はいつも喧嘩をしていた。
僕は離婚すると聞かされた時、不思議と嫌ではなかった。



もう喧嘩の声を聞かなくて済むという、安心や逃避の感情からだろう。



「何でそこで寝てるの?」
2階の子供部屋で、床に頭をつけて寝そべる僕に弟が尋ねる。


寝てるんじゃない。
歩いて軋む様な音が出る薄い木造の床から伝わる、両親の言い争う声を聞いてるんだ。


弟もわかっている。僕が何をしてるかって事くらい。


だけどお互い何も言わない。口に出すのが嫌だから。


自分の中の世界だけは、守りたいから。


父親の存在

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母が言うには、父のギャンブルと借金が原因で別れたそうだ。


ギャンブルが原因で借金を作ったのか、借金が原因でギャンブルをしていたのか。

はっきりとは聞いていない。母もそれ以上は言ってこない。



原因に関しては母から一方的に聞いているだけなので、片方の意見だけが今でも僕の中に既成事実として残っている。


だからこの話が本当なのかは『年金が老後にしっかり支払われる』とか『アクセルとブレーキを踏み間違えた』とかと同じくらいにしか信じていない。


もう僕も30を過ぎて色々経験した歳なので、何となく気持ちはわかる。


自分の感情。知らなくていい事。守りたい物。

色々あるんだよね。



父の事は好きでも嫌いでも無かった。

掃除機をかける時は汗だくになって、何かを常に歌っていた。
近くの銭湯や、本当に旨い中華屋に連れてってやるとよく連れ出された。


キャッチボールをたくさんした。
ヤクルトが好きな父に、よく神宮球場へ連れて行ってもらった。

1塁側から野次を飛ばす父。
いつも恥ずかしかったけど『リアルタイムで何かを観る』という事の良さを教えてくれたのは、父だった気がする。


よく言っていたのが辻発彦は名手で、伊藤智仁は肘のケガさえ無ければ最高の投手になれたそうだ。
古田の下敷きを買ってもらった。ヤクルトが勝った試合を見た事は一度も無かった。



ホームセンターで木材を買ってきて、鋸で加工して将棋盤を作ってくれた。
盤の裏には、僕の名前と作った日付が彫ってあった。

NHKの将棋教室を毎週見て、母に親父くさいと言われた。
もう覚えていないけど、あの盤は昔の家に置いてきたのかな。



一度だけ本気で叩かれたことがあった。

僕が弟と喧嘩をして、ベランダへ突き飛ばしてしまった時だ。

もの凄い剣幕で父が飛んできて、僕の頬を思い切り叩いた。
初めて本気で叩かれて僕は呆然として、痛みや恐さの感覚は覚えて無かった。


ただ、振り上げた拳を叩く瞬間に開いて、拳ではなく掌で叩かれた事は今でも覚えている。


畳の部屋と父親

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父と母の仲が悪くなってからは、母は別に家を借りて週末は不在にしていた。
そうすると週末に食事を作るのは、父の役目だった。

やきそば、大きい鶏肉を塩で焼いたやつ、豚の角煮、餃子

これ以外食べた事がない。


感想を聞かれたので「鶏が美味しい」と言うと、何度も出てきた。


料理なんてした事が無かった父。
食べている時に言いにくそうに「父さんにはこれくらいしかできないからな」と言っていたのを覚えている。


その時は、何と言えば良かったのか言葉が出てこなかった。

今の僕だったら、なんて声をかけるんだろう。




父は神保町で雑誌編集の仕事をしていた。いつも帰りが遅かった。

雑誌に名前が入るたび、僕に見せてきた。
中国へ出張に行って、お土産によくわからない人形や本の栞などをよく買ってきた。


疲れ果てた姿で、ソファーでよく寝ていた。酒の臭いがする事も度々あった。
買ってきた餃子を食べていたんだろうが、上半身裸の姿で胡坐をかいたまま椅子で寝ていた。


日に日に父と過ごす時間が減り、すれ違っていった。


もう何と声を掛ければ、何をしてあげれば良いのかわからない。

父の姿を見るのが辛かった。




父と母が離婚する事が決まった。



なんというか、悲しくは無かった。
これ以上二人が争ったり、家が暗くなるのを見なくて済むからだ。


それからは父も気持ちに整理をつけているのか、僕にあまり話しかけてこなくなった。

話さないのではない。


自分が情けなくて、息子に話しかける事ができないんだろう。
それだけは、あの頃の僕でも感じ取れた。



僕たちが家を出て行く前の日の夜、僕は父に呼ばれた。



畳の部屋で向かい合って座った。
何となく何を言われるかはわかっていた。



父は短く『迷惑をかけた事』『母と弟を大事にする事』を僕に伝えた。


そして、こう言った。


「お前はどこにいて何をしていても、父さんの子供だからな」


僕は「うん」とだけ短く相槌を打った。父は僕の肩をトントンと叩いた。



母親のドレッサー、一つだけ敷かれた布団、猫が引っ掻いた襖、首を振る扇風機。
少し蒸し暑くて、湿った畳の部屋。


大人になる前の僕は、そこに多くの物を置いてきた。


大人になるということ

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父が言ったあの言葉を、今でもよく覚えている。


別に父に会いたいとは思わない。今何をしているかも知らない。
誰かと一緒にいるのかもしれないし、もう亡くなっているのかもしれない。


けれど、一つだけはっきりしている事。



僕の人生の中で、誰かにあんな風に強い気持ちを伝えられたことが無い。

伝えた事だって無い。



そりゃあ妻に『愛しています』とか『結婚してください』みたいな事を言ったことはある。


けど『お前は俺の何かだ』なんてジャイアンか、女子が昼休みによくやってる美男子と恋愛するゲームのセリフくらいでしか見た事が無い。



ただ自分の気持ちを伝えるだけでなく、ある意味相手の存在を掌握した上での愛情表現。


そして弱くなった自分でも、生きているという証明。誰かの心の中に残りたいという願い。


きっと弱った自分を奮い立たせて、最後に『父親とは何か』っていうのを見せたかったんだと思う。

そして、自分にも何かを残したかった。
その言葉を伝えられる『自分』を心の拠り所にする為。



あと人生を二回りくらいすれば、僕もあの頃の父親の年齢だ。


僕は今、人生を楽しんでる。

仕事に就き、結婚こそしているものの、周りからの要望や期待を避けだいぶ好き勝手やっている。

Mr.childrenのライブに行きたい、いつだって音楽を聴いていたい、映画を観る時間が無い、猫だって飼いたい、アイスランドに住みたい、またロードバイクで一人旅したい、カメラがもっと上手くなりたい、スパイスカレーを極めたい、家買ってリノベして趣味と生きる生活をしたい

毎日子供みたいに騒いで、自由にやり放題。


まだ色々な物に縛られてなくて、責任も重々しくはない今の人生。

電車の車窓に写る自分の顔は、どことなく幼い。


『好きだよ』『ありがとう』『気を付けてね』『頑張れ』『よくやったね』

単に自分の気持ちを表すだけのこんな言葉なら、きっとたくさん相手に伝えられる。


けれど

お互いの存在証明と愛情を伝える

これは言葉だけでは成立せず、過ごしてきた時間や関係を積み上げてこその重くて意味の深い表現だ。


こんな僕でもあと二回りした時に、あの時の父と同じ様な言葉を誰かに伝えられるんだろうか。

あの時、父が振り絞った気持ちと同じような気持ちを、この先持てる様になるんだろうか。



もし自分に子供が生まれて大切な事を伝える時に、恥ずかしがらず堂々と父として何かを残せるのかな。


きっとこういう思いは、世代を超えて引き継がれていくんだろうな。
だから、それに相応しい大人にならなきゃいけないよね。


ここからの人生、自分が誇れる物にしよう。
だれかに大切な事を伝えられる様な、強さを持とう。


いつか僕から子供に、言葉を伝える時は

肩を優しく叩いて、笑顔で言葉をかけてあげよう。



父に感謝する、湿った梅雨の始まり。





今日は父の日だ。


みんな、お父さんに感謝を伝えるなら

今日が一番素直に言えると思うよ。